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2004.07.31

ガーデンデザイン実習

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月に1度、RHSJ(王立園芸協会日本支部)のガーデンデザイン講習会に通っている。

先日の講義で宿題を出された。
7×9メートルの庭のデザインを描いて提出せよとのこと。
抛っておいたのだがいよいよ締切り間近になって、今日6時間かかって制作した。

急いでやったやっつけ仕事で、あちこちボロボロである。最初から書き直せばもう少しはましになるだろうが、時間がない。
写真はG.Crew8というドローソフトで描いてJpgに変換したものである。
絵も図面も自分ではまったく描けない。パソコン作図でなんとか格好はつく。いい時代だ。(?)
自分だけがそう思っているのかな。

六一0ハップ

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いま白骨温泉の騒動が面白い。
知事まで乗り出して、温泉の素をこそこそ隠す映像が面白い。
見つかったのが六一0ハップ(ムトーハップ)だ。TVに大映し。

あれ、これは見たことがあるぞ。探したら我が家の薬品棚にあった。
飼い犬ロビーが口の周りを痒いがった時、塗ってやるのである。
ハハ

うちの温泉は透明温泉だが、入れる気はないね。

2004.07.21

假屋崎省吾ショー

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假屋崎省吾をご存知でしょうね。華道家を称し、花に関するデイスプレイやパフォーマンスで活躍しながら最近はTVのバラエテイ番組にも進出している、時の人で変な人です。
彼の「フラワーデモンストレーション&トークショー」に行ってきました。伊東市振興公社設立5周年記念行事として伊東市観光会館で行われ入場料は1000円でした。

驚きました、会場ほぼ満員、1000人近く入っていました。
95%が女性、若い女性もいますが中年も老年もしっかりいます。わが伊豆ガーデニングクラブは年齢構成が高くいつも気になっているのでこういうところに目が行きます。
假屋崎先生が客席横の入口から細長いケープというかスカーフをひらひらさせながら入場すると歓声と嬌声と拍手が起こりました。わがクラブには絶対にないものです。

舞台には5つテーブルが並んでいて花器が置いてあります。テーブルの後ろに花材が用意してあります。
先生が軽いトークをしながらパッパと手際よく活けていきます。助手がいて次々と花材を手渡します。<フラワーデモンストレーション&トークショー>として各地でやっているので手馴れたものです。
例えばスモークツリー3本を前景にドウダンツツジの枝7本を背景にしてカサブランカ7枝(1枝に5つの花)を活けます。テーブルを含めれば2.5メートルもの高さになります。
先生デザインの金属花器にハランと真っ赤なアンスリウムを5本づつ挿します。
自宅で簡単にといってモンステラを1葉、ヒマワリを1輪挿してみせました。
要するにこのパフォーマンスと軽いトークがショーのすべてです。55分間のショーでした。間に著書と出演番組のコマーシャルが抜け目なくきっちりと入ります。
誰かに「美をつむぎだす手を持つ人」と評されたと自己紹介に使っていますが、確かに流れるように花を活けていくパフォーマンスは見事なものです。なんとなく花に憧れを持っている人たちを夢見心地にさせる力があるのでしょう。
しかしわがクラブ員なら花材の名前は見ただけで全部判ったでしょうし、作品にそれほどの感激はなかったでしょう。TVに出ている人に直に会ったことがお土産でしょう。

さて假屋崎省吾は何を目指しているのでしょうか。
私は草月流の中の異才として彼の名前を知ったのですが、最近の彼の自己紹介文にも著書の中でも草月流に一切触れていません。<華道家・假屋崎省吾>で通しています。そしてますますマスコミへの露出を増やしています。近く<友の会>まで結成させるようです。
それでも彼のHPで略歴・受賞暦を見ると、1983年早大在学中に草月流入門(本人は1958年生)、1986年草月出版新人賞受賞、近くは2001年勅使河原蒼風生誕100周年記念勅使河原宏賞受賞などが出ていますから、草月流と切れてはいないようです。
90年代に華道を踏み出して空間デザインへの志向を強めたようですが、最近のバラエテイ番組への進出は何でしょうか。
まったく判らない人です。

なお各地でのショーは一流ホテルで食事つきで行われ料金は1~2.5万円です。1000円はとびきりの破格で伊東市振興公社のお手柄でした。
添付の写真はモンステラがなかったので庭のヤツデとヒマワリを挿しました。

2004.07.19

縁談

宝塚歌劇の娘と縁談がなかったと書きました。
思い出しついでに縁談のことを書いておきます。すでに廃語に近いようですから。

私の場合、全部で40くらいお話があったと思います。そういえばTV体操のモデルとかスチュアデス、ファッションモデルとの縁談もありました。
そのうちお会いしたのは5,6件、あとはお会いしないまま写真・釣書の段階でお断りしました。いや、この言い方は不遜ですね、断られたのもあったのですから。<お会いしないで話は切れた>と言い直しましょう。
お会いしたうちで、すぐに先方から断られたのが1件、もう1度お会いしたのが1件(これもその後お断りした)、あとはその夜のうちに仲人さんにお断りを入れました。
仲人さんは必ず<会うだけでも会ってみらた・・・>とか、<しばらくお付合いしてみたら・・・>と言いますが、私は<第一印象がすべて>と思っていましたし、<断りは早い方が良い>と一途に思っていました。
そもそも<結婚を前提にお付合いする>なんて気味が悪いじゃないですか。お付合いするのになにも縁談ルートが必要なわけじゃないし。

こうした縁談は主に父やその周辺からでしたが、会社の取引先からのお話も多かったのです。私が営業で外回りをしていたせいもあるでしょうが、そういう時代だったのですね。有難いことでした。

妻の方も私以上に縁談はあったようですが、詳しく聞いたことはありません。
彼女もあまり会わない人のようでした。
私に最初にお話のあった時の仲人さんの口上は、<久留米にこれこれこういうお嬢さんがいる。こんど○○のお茶会に出られるようだから、その時にちょっとお顔を拝見したら・・>というものでした。<平安時代じゃあるまいし、そっと遠くから顔を拝めとは冗談じゃない>とほうっておいたのですが、そのうちに写真交換・お見合いの運びになりました。

最初のお見合いの場は博多の料亭でした。出席は仲人役のYさんご夫婦、先方側の仲人役Kさんご夫婦、先方ご両親、ご本人、当方側の仲人役Yさんご夫婦、私の親代わりとして小倉在住のN叔母、そして東京から出向いた私、の合計11人の席でした。その時ご本人と言葉を交わした記憶がありません。
翌日先方ご両親、ご本人と私で福岡平和台競技場にラグビーを見に行きました。まだ地域対抗があった頃で全九州と全関東の試合でした。岳父は昔ラガーで、私も当時出光ラグビー部の主将でした。
半月後、東京と九州の中間ということで関西で会うことになりました。昼の部は宝塚の七福荘で、気分よくお酒が入り、男同士3人、女同士3人でそれぞれ温泉に浸かる仕儀となりました。裸のチェックをしたわけですね、予定にはなかったことですが。夜の部は大阪・吉兆で招ばれました。
そして翌朝大阪グランドホテルで双方縁談受諾の運びとなりました。昭和39年5月のことです。

娘明子が年頃になった時も(うちは1人娘です)、親として縁談をお願いするのは当然と思っていました。
着物を着せ、洋服を買っては写真館に連れてゆき、写真を撮り釣書を書いてあちこちにお願いにまわりました。
当人は迷惑そうな顔をするばかりで、結局自分で見付けた人と結婚しました。
写真を回収するのに苦労しました。

先週伊豆長岡のかつらぎ山に登ったのですが、妻は山頂の縁結びのお地蔵さんに、孫2人(10才、5才)がいいお嫁さんに恵まれるようお願いしていました。

2004.07.15

庭の花を数えた

わが庭の花の数を数えてみました。
78種咲いていました。意外に多くてびっくりしました。

春の花は以前数えたことがあるのですが、夏は初めてです。
年間を通しては全部では250種くらいあるようです。
ただしバラやゼラニウム、サルビアなどは1種にカウントしていますし、色別に数えたりすれば300は軽く超えるでしょう。
3/23━79種 (3月23日に開花している花が79種あったということ)
4/7━92種
4/20━104種
5/1━114種
7/12━78種→今回数えた
11/2━73種
詳しくは
こちら

春は毎日新しい花が2、3種類も開いて圧倒されますが、夏の花も頑張っています。
雑草とりでこたえてやらなくては。

2004.07.11

宝塚の娘と

昨夜のTV、見るともなしにNHKスペシャル「タカラヅカの90年」とやらを見ていた。

感想
<そういえば宝塚歌劇の娘との縁談はなかったなあ>

ハハ

2004.07.07

レインメーカー

私は10年に1度くらい短歌の本を購う。
今回「短歌」(角川書店)7月号を購入したのも何年ぶりかのことであった。
特別企画「101人歌人が厳選する現代秀歌101首」をみたかったからである。

集中、この歌を知った。

雨師(うし)として祀り捨てなむみはふりに氷雨は過ぎて昭和終んぬ 山中智恵子

選んだ沢口芙美は次のように書く。
~~~~~~
もともと王とは雨師(レインメーカー)であった。呪術によって雨をもたらす力を持つ者が、古代では即ち王であった。雨を降らす力がある間彼は王であるが、その力が失せた時王は殺され、新たに呪力を持つ者が王となった。
呪術に基づく古代王権の名残を天皇制は引き摺っている。少なくとも昭和天皇は宗教的な力を強調された時期があった。そうであれば、その天皇の死は雨師として祀り捨ててしまおう。雨師の最後を飾るように氷雨が降り、昭和は終わった。
一首はこのような意味であろう。

天皇が現人神として存在した時期に青春時代の重なる作者にとって、天皇の存在は重くのしかかっていたに違いない。そのような時期に生きた自分の人生をも込めて、「祀り捨てなむ」と言い切ったのだろう。

昭和が終わった時、多くの昭和挽歌がうたわれたが、天皇制の深みにまで降りてこう歌った人は他にいなかった。私はこの歌を読んだ時心が震えた。
一連に次歌がある。
そのよはひ冷泉を超え賢王と過ぎたまふ、そよ草生(ひと)を殺しき
~~~~~~

私も心が震えた。

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