2009.06.19
御殿場ローズガーデンに行く途中、元箱根の「玉村豊男美術館」に寄った。
玉村豊男はもともとエッセイストとして飯を食っていた人だが(私はそのエッセイを読んだことがない)、田舎暮らしを実践してワイン造りを始めた。
そこそこ成功していたらしいが大病を患い絵を描き始めた。
その絵をどこかで見て気になっていたので寄ったのである。
美術館に寄って判ったこと。
玉村豊男の父親が一応名のある日本画家だったこと。彼自身若い頃絵に打ち込んだ時代があったこと。病後の療養に絵を描いたらそれが思わぬ評判を呼び、美術館開設にまで至ったこと。彼の絵はリトグラフで1枚20-40万円すること。
玉村豊男の絵は、私の知識レベルでは<ボタニカルアート>の範疇に入る。
ボタニカルアートとは次のように定義されている。
<ボタニカルアート(植物画)は植物の姿を正確で細密に描く植物図鑑のための絵画である。>
しかし彼は自分の絵をボタニカルアートとは呼んでいない。
ボタニカルアートのリトグラフでは20万円にも30万円にも売れないからだろうか。


さて私はその植物画を見ながら、<これは押し花だなあ>と思った。
そして、<この絵は描けないけど押し花なら作れるかも?>と考えた。
帰宅して、伊豆ガーデニングクラブの会員で押し花を教えている人がいることを知った。
早速その先生(遠藤さん)を訪ねた。たくさんの素晴らしい作品に驚かされた。
聞いてみると押し花にもいろんな流派があり、技法があるらしい。E先生の流派は<ふしぎな花倶楽部>という。
とにかく入門をお願いした。来月からレッスンに通う。


先生の域に達しようなどとはさらさら思わない。花びら1枚でも押せるようになればそれでいい。
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2009.05.01
今年最初の庭巡りバスが来た。
ここ数日、夫婦で本当によく働いた。草取り、花がら摘み、落ち葉掻き、水遣り・・・
バスが来ると思うからこそ、ここまでやれる。
ちらほらとビジターが来る程度ではこれほど頑張らないだろう。
この数日の作業は別として、今シーズンの庭普請は次の3つであった。
1.ニシキギとアセビの下の雑草地を岩で囲って小さなロックガーデンを作った。
2.備前の甕を少し右に寄せて常滑焼の睡蓮鉢と一体の景色とした。
3.倉庫の扉にカッテイングシートで花の絵を貼った。





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2009.02.17
皆さんに<日本の庭を採点する>などと大見得をきってからどれくらい経つだろうか。もう2年も前だったか?
半分諦めて、<取り敢えず庭園のリストだけ作ります>と言ってからも、すでに5ヶ月が経つ。
このほど、やっと「庭園リスト」を仮オープンしました。「黒潮丸の庭園リスト」
まだ日本庭園だけだし、それも完成ではありません。
340庭リストアップして、220しか各庭ページが出来ていない。
それでもUPするのは、サイト内検索のために早くGoogleに拾ってもらう必要があるからです。
内容的にもまだ未完成です。
さらには、植物園、公園、洋風庭園、個人のオープンガーデンなど、リストの対象はまだまだあります。
いったいどういうつもりでこんなことを始めたのか、自分でも判らなくなりました。
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2008.12.07
伊豆新聞に「木村屋敷-公開」の広告が出ていたので行ってみた。
~~~広告文~~~
当木村屋敷には昭和初期に造営された建築の粋を集めた数少ない木造モダニズムの建物が現存して居ります。
三菱大財閥の三代目総帥木村久寿弥太氏の昭和初期のテロ騒動時の隠れ屋敷でした。
貞明皇太后様、秩父宮妃殿下を始め皇族の方々や多くの著名人のご来訪のあった由緒ある屋敷です。・・・・
~~~~~~
場所は河津の桜堤とバガテル公園の中間あたり。
3000坪の庭というが、周辺は藪で、建物前面の池、滝および大石が庭の面影を留めている。
ちょうど見頃の紅葉があったが、日を追って盛りの紅葉を楽しめるように何本も配植されていた。
建物の中心は4畳半の茶室である。大寄せ用の広間もあり、水屋、納戸がある。待合は朽ち果てたのか姿がなかった。
2階は客用の寝室(和室)か。この土地内に温泉はない。
この当時(昭和初期)、まだ河津桜もない時代、はるばるここまでやってきた客は茶以外に何を楽しんだのだろう。
木村氏は三菱の事務員から総帥にまで登りつめた人であるという。
日本工業倶楽部の創設に関わり、後に理事長を務めている。
屋敷は長らく銀行の担保として荒れたままになっていたが競売にかけられ、落札した業者から現在のオーナーが昨年購入したという。
そして畳表を取り替えるなど一応の手入れをして公開に及んだ。
お茶(ロイヤルコーヒー600円)をよばれてオーナーとちょっとお話をしたが、当方建物についての造詣はまったくないので話の種がなかった。
今後公開を続けるのも大変だろうと思った。




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2008.11.15
ロバート・パーカーのワイン評点「パーカー・ポイント」のことを知って、庭の採点を志したと書いた。
<庭を採点する>
<庭の採点-リスト作り>
遅々として進んでいない。
そもそもパーカーがどうやって採点しているかも確かめていない。
これではならじと、彼の著書「厳正評価 世界のワイン」を見てみることにした。
調べると大冊全4冊の大著である。25000円である。
県内で静岡市立図書館にあることが判ったので、伊東図書館を通じて借りた。
冒頭50ページに亘る序論があり、そこに評価の意義や採点の方法について書いてある。
そこだけを拾い読みした。少しだけ引用しておく。
~~~~~~
・ワインに点数をつけるという行為は、専門家の見解を、一貫した基準のもと、数字であらわす採点方式に当てはめることにほかならない。さらにまた、点数をつけることで専門家にも初心者にも同じように迅速に情報を伝達することが可能になるのである。
・点数の与え方について説明すれば、私の採点方式ではワインにまず50点を付与することから始める。ワインの一般的な色合いや外観についての評価で最高5点まで加える。アロマとブーケに関する評価では、そのワインの清潔さとともにアロマやブーケの強烈さのレベルと次元によって最高15点まで加える。味わいとフィニッシュに関する評価は最高20点までで、味わいの強烈さ、バランス、清潔さ、深み、口に残る余韻の長さなどがすべて点数を加味する際に考慮すべき重要な要素となる。最後に全体的な品質レベルや、将来成長し進歩する能力(熟成能力)に対して最高10点まで加える。
・完璧な採点方式などあり得ないが、点数は①さまざまなレベルのワインの品質を定量化できる。 ②1人の専門家による信頼できる、正確な、検閲とは無関係な、高度に情報の詰まった報告書になり得る。
~~~~~~
このあと、各産地ごとのワインの評価に入る。
しかし私はそちらにはまったく関心がなかった。
何故なら私はワインを飲まないからである。生来アルコール分解酵素が少ないらしく、缶ビール1本をもて余すほどなので、ワインに関心を寄せる余裕がない。
そこで私は考えた。
私がワインに関心がない如く、庭に関心のない人には<庭の採点>など屁の河童みたいなものだろうなあ。

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2008.10.22
RHSJ(英国王立園芸協会日本支部)の行事で、重森三玲が京都で作った庭の幾つかを三玲の孫の重森千青氏の案内で巡る企画があり、参加した。
私はかねて重森三玲は文化勲章を3個も5個も貰うべきだった人だと考えているから、そのお孫さんのお話を聞きながら三玲の庭を巡るのはまさに至福の時であった。
文化勲章の1は、独力(国からの援助を受けることなく)で全国の庭園400ヶ所の実測図を作成し「日本庭園史図鑑」26巻を刊行したことである。その2は、戦前中山文甫や勅使河原蒼風ら若手を糾合し「新興いけばな宣言」を起草して戦後の空前の華道ブームの基礎を築いたことである。その3は、今回巡った東福寺方丈「八相の庭」をはじめとする作庭の数々である。
千青氏は50年配か、やはり庭園研究家で、気軽にそして博識を惜しげもなく話して下さった。
例えば東福寺は三玲に作庭の設計料を払わず永代供養でチャラにしたそうだ。
今回巡ったのは次の4庭である。このうち1.2.4.が三玲の作庭である。
1.東福寺方丈「八相の庭」
2.東福寺光明院「波心庭」
3.大徳寺龍源院「一枝担」
4.大徳寺瑞峯院「独座庭」
「八相の庭」は東福寺方丈を取り巻く幾つもの庭であるが、中でも方丈南庭の石組みは三玲の出世作であり、生涯最高の作と言われる。
光明院は玄関に「多勢の入山者は好みません 庭の自尊心を傷つけますので 是非にと思われる方以外どうでも良いと思われます方は自問の上入山しないで下さい」と看板が立っていておかしかった。
この4庭で10時から16時半までたっぷりかかった。参加者はRHSJの会員28名。遠く岩手、千葉、四国などからも来ており伊豆から来ましたでは大きな顔は出来ない。
大徳寺大仙院や孤篷庵まで見たかったと言えば罰が当たる。
三玲についてはこのブログでも何度か書いた。直近では昨年10月の「重森三玲の庭・展に行く」であるが、千青氏の話を聞いた後の今日読み返してみて修正するところがない。
我ながらしっかりしたエントリーであったと感心している。
写真:東福寺の山門(国宝)

方丈南庭

方丈北庭(市松模様)

重森千青氏の話を聞く

光明院玄関の看板

光明院「波心庭」

大徳寺瑞峯院「独座庭」

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2008.10.06
「トピアリー」(宮崎雅代 グリーン情報 08年9月 2100円)を読んだ。
巻末の著者プロフィールによれば、宮崎氏は損保会社のOLから植物に目覚めてハーブやフラワーアレンジの資格を取得し、さらにトピアリーに関心を持って研究を深め、2001年にははままつフラワーパークで日本トピアリー協会から第1回トピアリー大賞を受賞している。
その後㈱ネバーランドインターナショナルを設立し、最近日本トピアリー協会の会長に就任したようだ。
私にとって本書は待望の書であった。
1年ほど前にトピアリーを知り、いろいろ情報を集め実作にも手を染めたが、いい解説書がない。総合的にトピアリーを扱った本は皆無といってよかった。
そういう中での本書は、世界の素晴らしいトピアリーガーデンの紹介や巨大なトピアリー農園、フレームを使ったさまざまなオブジェなど目を見張る思いだった。
何にもましてトピアリーに対する著者の情熱が伝わってきた。
実作でさっぱり成果が上がらず(半年では当然だが)、トピアリーを忘れかけていた私を再び元気付けてくれた。
参照:「黒潮丸のトピアリー大研究」
ところが<トピアリーの種類>の項に入り、いろんなトピアリーを紹介する段になって疑問を持ち始めた。
モス、メッシュ、ドライフラワートピアリーなど、テーブルトップで楽しむアイテムまでトピアリーに含めている。
私にとってトピアリーはやはり屋外で楽しむものであって、テーブル上の手芸までトピアリーとするのは違和感がある。
さらにはハンギングバスケットやコンテナガーデニングに言及し、あまつさえ立体花壇(モザイカルチャー)までトピアリーの範疇に入れようとしている。
著者の趣味として、㈱ネバーランドの営業として何をどう扱おうと構わないが、今や日本トピアリー協会の会長の著書となれば、その内容は協会の考えを反映したものと受取られる。
私がトピアリーに関心を持った当初、まず頼りにしたのが日本トピアリー協会のホームページであった。そこから多くの有益な情報を得た。
ただ、2004年以降の更新がなく、活動は休止している如くであった。
今回本書により宮崎氏の会長就任を知り、活動再開を祝福し、今後の活動に大いに期待するものである。
しかしテーブルトップ・トピアリーを協会の活動対象に含めるのだろうか?
ハンギングバスケットやモザイカルチャーを本当にトピアリーの1部門と考えるのだろうか?
この辺りを明確にしないと、日本トピアリー協会の発展は難しいように思う。
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2008.10.01
庭の採点、採点とこだわらずに、まず庭園のリストを作ることから始めようと方向を定めた。
それで考えたことをまとめておきたい。
1.採点の目的
そもそも庭の評価を考え始めたのはオープンガーデンの誘客からだった。
わが伊豆オープンガーデンは僻地にあり、皆さんに来て頂くにも多くの時間とお金の負担を掛ける。伊豆に着いてからの巡回バス代だけでも3400円である。
それだけの負担をして来て下さる方々に、事前に何の情報も与えないのは不当ではないのか。せめて庭の規模、植栽の種類、特徴、手入れの程度などの情報を提供すべきではないか、と考えたのだった。となるとどうしても評価の部分が出てくる。
評価で悩んでいる時に、ワインの帝王・ロバート・カーカーのPP(パーカー・ポイント)のことを知った。あのワインの世界で銘柄・年式毎に100点満点の点数を付けているという。それが一般に受け入れられているという。
ワインの評価という多分に個人のテイストに属する世界で、一体どんな採点基準を作ったのだろう?思いはたちまちそちらに移った。庭の採点をするKP(黒潮丸ポイント)を作ってやろうと志した。
そして袋小路に入ってしまった。
2.庭園リスト
採点の前にまずは庭園のリスト作りから始めることとした。
KPを考え始めた時から、対象はオープンガーデンを超していた。不遜にも日本中の名庭を採点しようと考えたのだ。
今回、採点は先の話としてリスト作りをするに当たり、やはりそこからのスタートとなった。
国の史跡・名勝に指定された庭園リストがある。250ヶ所くらいか。まずこれから始めよう。
ほかに地方自治体の指定もある。洋風の庭もある。個人の庭もある。そして本命のオープンガーデンもある。追々に追加していこう。
<日本国内の庭で、黒潮丸が選んだ庭>、これを基準にしよう。
3.検索機能
庭園リストをベタの表に作っても仕方がない。
やはりネット上に公開し、オンライン検索でソート出来るようにしたい。
これは一般的な技術である。実は私のヨットサイトでも、畏友中山隆一郎君が立派なオンライン検索システムを作ってくれている。
しかしまた彼の手を煩わせるのは申し訳ない。なんとか自分で作ってみたい。
と、調べ始めたが、なかなか難題だった。いかんせんわが技術能力が低すぎる。
それでもまあ頑張ってみるかと覚悟を決めかけたところで、グーグルの<サイト内検索>機能を知った。ほほ。これなら私でもやれそうだ。
字句検索なのでデータベースソフトのようにきれいに結果は出ないだろうが、なんとか役にはたつだろう。
取り合えずこれでいくことにしよう。駄目だったらまた考えよう。
4.項目
もう20項目に達している。もっと増えるだろう。
5.画像
写真のない庭園リストはいかにも淋しい。
しかしこのリストではネット上から無断借用した写真を載せることはするまいと思う。
当該施設のパンフレットなど広報資料、ネットで公開されていて使用の許可を頂いたもの、そして私自身が撮影した写真、に限定しようと思う。
いまのところこんなことを考えている。
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2008.09.29
<庭の採点>について最初に宣言したのは2007年2月だった。
「庭を採点する1」
「庭を採点する2」
それ以来、常に脳裏にはあるのだが、さてどのようにしようかと考えるとたちまちそのトバ口で止まってしまう。
あまりに難しく、いろんな要素があり過ぎて、殆ど思考停止の状態になってしまうのだ。
庭の歴史を、規模を、デザインを、管理状況を、ホスピタリテイ・・・を、どう採点すればいいのか。
採点といえば数値化ということであろう。
数値とは、絶対値か?
いや? さにあらず?
例えば私が金閣寺に90点を付けたとする。
<90>は絶対値である。
しかし私が「金閣寺は90点」とだけ言っても何の意味もない。
「銀閣寺は80点。天龍寺は95点。」と言って初めて<90はその間か・・・>の意味を持つ。
とすれば数値化とは相対比較のことか?
この辺りのことは数学か哲学できちんと説明されているのだろうが、私は門外漢で不案内である。
しかし<相対比較>で閃いたものがあった。
<そうだ。採点、採点と方法論ばかり考える前に、何に採点するのか対象のリストを作ったらどうか。そのうちにいい考えが浮かぶかもしれない。>
なんだかちょっと気が楽になった。リスト作りに気が向くようになった。
多少気楽になったとはいえ、それはそれで大作業である。
総数でどれほどになるのか。国や地方自治体の指定史跡や名勝庭園をベースにして、あと何を加えるかによるが500ヶ所程度か。
データベースとしての項目は20を超しそうだ。
そうだ、検索機能が必要だ。500件ものリストをベタに並べても使いようがない。
例えば「東京以外にある、江戸期の大名庭園」の検索が出来るようにしたい。しかし私にそれを作る能力はない。どうしたらいいか。
現在、この段階である。
~~~~~~
庭園リストを作ろうとして気付いたことだが、ネット上に「建物探訪」のサイトはたくさんあるのに「庭園巡り」のサイトは殆どないのである。
例:「洋館探訪リンク集」
庭園巡りリストで私が知るのは、「ほあぐらさんの日本庭園紀行」だけである。
と思っているところに今回<庭の採点>をしているページを見付けたのだ!何たる僥倖!
しかも自分が見届けた庭ばかり150ヶ所のリストである。
1庭2行の記述で、ABC・・の5段階採点だが、それにしても庭の採点を初めて見た!大いに力づけられた。
作者は愛媛県八幡浜の造園屋さんである。寺崎正人さん、32才。若いから出来たことだろう。
「庭園見学リスト・自己評価メモ」
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2008.09.12

「作庭記」については以前書いたことがある。 作庭記のこと
世界最古の造園のマニュアルというのだから、ガーデンデザインに志す者は誰でも心を惹かれる。このレポートはたまたま訪問したNZのアマチュアガーデナーが、この本の英訳に何10枚も付箋を貼って熟読しているのを見て驚いた報告だった。
しかし実際に「作庭記」を見ても、私なんぞには書いてあることがさっぱり判らず、あまり有難くないのであった。
そこに小埜雅章氏の本書が出た。
小埜氏は1947年生まれ。日本庭園の実作者である。庭師である。
小埜氏も「作庭記」や解説本を何度読んでも判らなかったという。実際の庭造りに応用出来ない。
かくして小埜氏の謎解きが始まった。
小埜氏は、<「作庭記」の著者は意図的に平仮名表記と漢字表記を使い分けている、そして平仮名に漢字を当てようとする場合、正解の的を射た「相伝」の漢字と、誤りに陥りやすい漢字の2つを用意している。>という。
そして、<おそらく当時相伝を得るには、文書の所持と、直接の口伝えが必要だったのであろう。>という。
かくして「作庭記」全編にわたって平仮名表記を正しい漢字表記に改め、現代語訳を行った。本書である。
大変な努力であり、精進である。頭が下がる。
ただし私なんぞの素人に役立つ本ではない。次元が違う。
小埜氏は「作庭記」の解説・研究書として次の3冊を挙げて内容にコメントしている。
「作庭記」 田村剛 相模書房 昭和39年
「図解作庭記」 斉藤勝雄 技報堂 昭和41年
「解説山水並野形図・作庭記」 上原敬二編 加島書店 昭和47年
先人のこれだけの書を前にして自説を述べるのだから、小埜氏はきっと口伝の一部に触れることが出来たのだろうと小人は思うのだが、本書にその言及はない。
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2008.09.07
映画「セックス・アンド・ザ・シテイ」を観た。
「プラダを着た悪魔」の監督が撮った?とかで観る気になった。
あれはファッション誌「ヴォーグ」の名物編集長(実在らしい)に仕えたアシスタントの物語だった。
「セックス・・・」の方はNYに住む仲良し女性4人組の物語である。
いずれもアラフォー。浮気した亭主と別居している女性、養女をもらったら自分が妊娠した女性、立場はいろいろだが仲良しグループである。
主人公のキャリーは売れないライターで独身。冒頭「すべての女性は2つのLを求めてNYにやってくる。LoveのLと、Label(レーベル=日本でいうブランド物か)のLである。」と彼女のナレーションが入る。
そのキャリーが40才直前にして10年間付き合ってきた彼氏と結婚することになる。
浮き浮きの大騒ぎ。
そこへ「ヴォーグ」誌が取材に来た。キャリーをモデルにして<最後の結婚式>の特集記事を組みたいという。
<最後・・>というのは40才が結婚式で輝く最後のチャンスだから。
1流のスタイリスト、1流のカメラマンを揃えて、1流レーベルの結婚衣装を次々にキャリーが着替える。
確かに美しい。映画中の圧巻の部分である。
レーベル=ブランドが判る人にはもっと楽しいだろう。
いろいろあって結婚は直前に壊れる。
失意のキャリー。仕事も出来なくなる。
新聞でアシスタントを募集して雇ったのが地方から出てきたばかりの若い黒人女性ルイーズ。
同郷の仲間とワンルームを3人でシェアしているという。
この娘が有能で、キャリーは次第に復帰していく。
ある日、ルイーズがヴィトンのバッグを提げているのを見てキャリーが咎める。「3人でシェアしているような生活でどうしてヴィトンが持てるの?」
「これ、レンタルなんです。私は今週だけの持ち主。」
やがてルイーズは恋を得て退職することになる。
キャリーはヴィトンのバッグを贈る。
ルイーズは狂喜して涙ぐむ。「これは初めての私だけのヴィトン。」
アラフォー、1流レーベルの衣装、ブランド物のバッグ、どれをとってもNYも東京も女心に変わりはない。
いやソウルも上海も変わりないのであろう。
~~~~~~
それで考えたのだが、ブランドにはロゴが必要だ。
石原和幸は自分のデザインにロゴを入れるべきだ。それでなければ世界には売れない。
以心伝心、不立文字では違う世界には伝わらない。
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石原和幸の「ガーデン美術館」に行った。
~~~すんぷ夢ひろば~~~
静岡と清水の間に日本平の丘陵がある。北側に国道1号線、海岸沿いの道が久能街道で、石垣イチゴでで有名だ。
丘の上には久能山東照宮があるが、そのずっと下、海岸からちょっと入ったところに「すんぷ夢ひろば」という施設が出来た。
施設の中心は「天下泰平の湯」という所謂温泉施設で、ほかに「駿府町家」と称するショッピングゾーンや、「家康ミュージアム」「すんぷ演芸場」などがある。入湯料は2000円、他もそれぞれ入場料が要る。
今年の6月その一角にガーデンデザイナー石原和幸の「すんぷガーデン美術館」が出来たとTV番組「ソロモン流」で見て、今回行った。
~~~石原和幸~~~
石原和幸については何も知らなかったが、TVによれば長崎出身で、生け花やフラワーアレンジメントなどをやり、花屋の展開をしているうちにガーデンデザインを手掛けるようになり、チェルシー・フラワーショーのガーデンデザイン・コンテストに応募してなんと3年連続で金賞を獲得した人だという。
HP「風花」 http://www.kazahana.com/
「ガーデン美術館」にはその受賞作品が展示されているという。
~~~ガーデン美術館~~~
入場料は500円だった。
入口を入るとちょっとした広場があり、正面に高い緑の壁が立っている。(写真)
この緑が素晴らしい。多肉植物と蔦類で、真夏(9/2)というのに衰えを見せていない。
中門を入るとそこがチェルシー出品作のコーナーだった。2006、7、8年の3つの金メダルと、2004年の銀メダルの作品が据えられていた。
それぞれタタミ3帖ほどの大きさである。
真夏で見るかげないだろうと予想していたのに、さにあらず、多肉植物の壁を多用して活き活きとしていた。
それと透明ガラスの立面に水を流して涼しさを作っていた。
草本も木本も、地面に根を下ろしたものはない。すべて据え物、置き物である。
据えるほどの石は使用されていない。
(後でチェルシーの現場の写真と比較するとここの展示は80%程度に省略されているようだ。現場はもっと小物が飾られている。)
その奥に平屋の建屋があり、中に屋内展示があった。
写真「屋内展示-1」のようなデイスプレイが何ヶ所かと、床の間のような小間の展示が10ヶ所ほどあった。
小間はどれも間口1間もないほどに狭い。
置かれた鉢物も盆栽というには程遠い裾物の寄せ植えで、容器も銘品ではない雑器である。
後ろの壁には脈絡なく小棚が取り付けられ、一輪挿しなどが置かれている。
軸物にも意味がない。





~~~私の感想~~~
1.チェルシー・フラワーショーが3年連続で金賞を与えた理由は判らない。どこが優れていると見たのか知りたいものだ。
ただし連続とはいうがそれぞれ部門が違っている。2004年に<シックガーデン>部門で銀、2006年に金をとっている。そして2007年に<シテイガーデン>部門で金、2008年に<アーバンガーデン>部門で金である。けっして<日本庭園>部門ではないのである。
石原も<日本庭園>を打ち出していない。自ずと和は滲み出ているが、日本庭園を作ろうとはしていない。ここが偉いところだ。
2.小間の展示を見ながら、初めは「一体これは何だ?」と思った。そしてハタと気付いた。これは商品カタログだ!
寺院や料亭の床の間を狙っていない。和民やベニハナチェーンの門先にはこれがいいのだ。石原の狙うマーケットはこれだ!
3.今後、上海のビルにもドバイのビルにも緑のコーナーや坪庭の設置が流行となるだろう。そこに一々日本庭園の造園家が出掛けることはない。
写真でガーデンデザイナーの作品を見て注文する時代になる。
庭作りもオートクチュールからプレタポルテ、既製服への道を歩むであろう。
~~~追記~~~
帰りがけにバスで一緒になったおばさん達の情報によれば、「すんぷ夢ひろば」は9月16日で営業休止になるそうだ。
18年11月に開業したばかりなのに逃げ足の速いことだ。
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2008.08.01
「江戸の花競べ」(小笠原左衛門尉亮軒 青幻舎 08・4刊 1800円)を読んだ。
江戸期の花に関する出版文化の紹介もあり、元禄時代に出た「新撰五十瓶図」の中の1図に魂消た。
元禄5年3月8日(1693)、南都東大寺に供花された立花の図が出ている。
この松?の活け花の高さは3丈2尺、花瓶の高さは7尺5寸という。合わせて12メートルを超える。
活けたのは池坊社中とされるが、どのようにして活けたのか、その技術は未解明という。
12メートルと言えばビルバオのパピー(1992)と奇しくも同じ高さである。
しかし300年の時差がある。
なんとなく愉快になるではないか。

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2008.07.13
スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館の前に据えられた、高さ12mの犬の像については前に書いた。
名前はパピー。全体に花の鉢を差し込めるようになっている。
まさにこれは立体花壇ではないか。モザイカルチャーではないか。
作者のジェフ・クーンズはモザイカルチャーの創始者と言わずとも中興の祖ではないか、と書いた。
すべてはネットで得た知識であった。
しかるに、このほどわが学友S兄が現場に立ち、写真を送ってくれたのである。
見よ。実際に花が咲き誇っているではないか。
これでパピーの実在が信じられる。
S兄よ、有難う。
(パピーにモザイカルチャーの解説はなかったようだが)
それにしても「モザイカルチャー」、まだまだだね。
国際モザイカルチャー委員会のメンバーは世界で7ヶ国というではないか。
浜松市が意気込むほどモザイカルチャーはメジャーではないようだ。
しかしいいと思うよ。
浜松市、頑張れ。
きっとメジャーになる。



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2008.07.02
トピアリーに入れ込んであれこれ調べ出し、一部実作を始めて(結果が出るには数年かかる)このブログにも10数篇のエントリーを書いた。
今年の2月から4月にかけてであった。
また私のガーデン・サイトにも「トピアリー大研究」を載せた。
トピアリーの研究をしているうちにモザイカルチャーという言葉に出会った。
説明はこのエントリー<トピアリーとモザイカルチャー>をご覧あれ。
要するに器材・機材を活用・駆使して花壇を立体化する手法なのだが、これはトピアリーよりも一般受けして流行るだろうと思ったものだ。
昨年末、新らし物好きの浜松市が2009年9月から「浜松モザイカルチャー世界博2009」を開催すると発表した。
認知度はますます上がるに違いない。
ここしばらく(2ヶ月間)<貼るポケット>に熱中していたので、その後の動きを追ってみた。
~~公的に~~~~
「浜松モザイカルチャー世界博2009」の公式サイト「MIH2009」
ほとんど新しい動きは出ていない。
「国際モザイカルチャー委員会(IMC)」の公式サイト
「MIH2009」の記事すらない。いまだに「2006・上海」のお知らせが出ている。
そもそもこの委員会、世界7ヶ国が参加しているそうである。
浜松市
MIH2009の推進が、市の推進室から「浜松モザイカルチャー世界博2009協会」に移管されたと新聞発表された。(6/14)
協会会長は鈴木康友浜松市長である。
この協会のサイトはまだない(見付からない)ので、組織や協力団体など判らない。
ウイキペデイア
wikipedia にもウイキペデイアにも、まだ「mosaiculture 、モザイカルチャー」の語の登録はない。
~~企業ベースで~~~~
伊藤商事
園芸資材のメーカー・商社でハンギングバスケットの資材など作っていたが価格凋落で悩んでいたようだ。
もともと立体花壇に経験が深く、各地の園芸イベントのモニュメントや、近くは六本木ミッドタウンの花付き街灯など製作施工している。
このほど園芸資材から立体花壇部門のサイトを独立させた。「Topiary.Jp」 である。
着眼点はいいが、中に「モザイカルチャー」の語をもっと入れ込むべきではなかったか。
同社の立体花壇はまさにモザイカルチャーなのだから。
エム・クラフト
もともとFRP造型品で立体看板を作っている会社である。
最近トップページで「モザイカルチャー」を謳い始めた。
機を見るに敏だ。
~~~~~~
まだ動きは鈍いがわが国ではモザイカルチャーは必ずやトピアリーを席巻すると確信する。
国際的にはどうだか判らないが。
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2008.06.20
わがPCCホールディングスの主要な柱が<PCCガーデンデザイン事務所>である。
どんな仕事をしているのか、1例をご覧にいれよう。
写真は某牧場のフロント花壇である。植栽を請負っている。
幅15m、奥行1.5mのボーダー花壇である。
昨日の写真でホワイトレースフラワー、アカンサスモリス、カサブランカ、ダリアなど白の高性種が優勢なので<ホワイトガーデン>を目指したように見えるが、そうではない。
たまたまワトソニア、ルピナス、チューリップ、マーガレットなどが終わり、夏のアガパンサス、サンパチエンス、ポーチュラカ、メドーセージなどがこれからなので、そうなっている。
それにしてもちょっと彩りに乏しいな。デザインミスである。
なかなか思うようには咲いてくれない。
花の8割は宿根多年草で、昨年から植えたものだ。







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2008.06.07
庭に関心を持ち始めた当初、遥か外国の洋風ガーデンに憧れ、そこでガーデンデザインの言葉を知り、ガーデンデザイナーの存在を知った。
何人かの事跡を学んだ。
そしてある時、日本のガーデンデザイナーを問われたが、知る名前は小堀遠州のみであった。
数年が過ぎ、やっと日本庭園への関心も芽生え、入門の概説書などを手に取るようになった。
そして植治=小川治兵衛の名前を知り、その作品を見たいと思った。
どんな庭を作ったのか。それはどこにあるのか。
最初の発見は伊東図書館の書棚であった。そこに植治の本が2冊あった。
「植治の庭-小川治兵衛の世界」(尼崎博正 淡交社 1990年 16000円)
「石と水の意匠-植治の造園技法」「尼崎博正 淡交社 1992年 16000円)
どちらも大判の、値段の高い本である。
私なりに熟読し、初めて「無鄰庵」「対龍山荘」「織宝苑」「碧雲荘」などの名前を知った。
名前を知っても簡単に野人の行ける場所ではない。見るのは写真のみである。
そしてその写真のどこにも<田畑みなお>の名前があった。
もう6、7年前になるか。
当時伊東市内のまちづくり関係団体をまとめようとする動きがあり、伊豆ガーデニングクラブもその中にあったが中心となっていたのが「まち懇伊東」(現在「NPOまちこん伊東」)であり、その事務局長が田畑みなお氏であった。
あれ、これがあの写真を撮った田畑さんか、と調べてみるとどうやらそうらしい。
あんな素晴らしい写真を撮る人がこんな雑用をしていていいものか、と半ば憤慨して見ていたのだが、彼は相変わらず地味にその仕事を今に続けている。
私はせめて尊敬の気持ちを表わすために、伊豆ガーデニングクラブの月例会の講師をお願いした。
演題は「庭の写真の撮り方」。
しかし当代きっての庭の写真家と、素人の庭好きの集まりと意識が合うはずがない。田畑さんも何を話したらいいのか判らない風であった。
唯一覚えているのは撮影の前の庭の掃除のことである。
さて、このほど「植治-七代目小川治兵衛」(写真・田畑みなお 監修・白幡洋三郎 京都通信社 08・3刊 2500円)が発刊された。
特筆すべきはこの表紙である。
題名に続くのは、「写真・田畑みなお」の文字である。添付写真をご覧あれ。

純写真集ならいざ知らず、1冊の本でまず最初に写真家の名前が出されるのは異例ではないのか。
ことほどさように、この本における田畑みなおの写真の存在感が大きいのである。
彼の写真あってこそこの書が成り立っている。
中身のことはもう言うまい。
この書が2500円で買えるのは奇跡である。
ぜひご購入あれ。
私は重岡建治氏と田畑みなお氏の2人だけが伊東市在住のワールド・クラスのアーチストだと思っている。
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2008.05.13
浜松フラワーパークで「モザイカルチャー世界博」が開かれるというので、安城デンパークの帰途寄った。
浜松駅からバスで40分。よほど物好きでタフでないと伊豆から安城に行った後で寄らないだろう。ふむ。
モザイカルチャーのことは今日になって調べたから、フラワーパークに行った時点ではトピアリーとモザイカルチャーの区別はついていなかった。
だからフラワーパークの芝生庭に10体あまりのツゲの刈込みトピアリーが並んでいるのを見て、なるほどと思っていた。
しかし世界博のホームページに、「モザイカルチャーはトピアリーとは違う」とはっきり書いてある。
今頃浜松市役所の担当者は、これらのトピアリーを撤去すべきかどうか悩んでいるのではなかろうか。
私はいまだに浜松フラワーパークと浜松ガーデンパークの区別が判然としない。
今回もフラワーパークに入っているのに、さてどっちに居るのかと迷ってしまった。
展望塔がないので、ああ花博をやったところではないと判った。
どっちと言えばガーデンパークの方が楽しい。遠くから行くのだからガーデンパークの方が良い。
しかし今回はモザイカルチャーの会場を見に行ったのだから、フラワーパークで間違いではなかった。
私のトピアリー狂いは何だろう?
そのうちにきっと阿蘇のやまなみハイウエイに行くよ。イタリアのロミッテイ&ジェステイ農園に行くよ。



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来年の9月から11月にかけて浜松フラワーパークで「浜松モザイカルチャー世界博2009」(MIH2009)が開かれる。
モザイカルチャーとはなんぞや?
小岩金網でのメッシュトピアリーの講習会でその計画を聞き、なんぞや?と思っていたのだがMIH2009のホームページも出来て、だんだんその内容が判ってきた。http://mih2009.com/
どうやら花や草をデザインに従って立体的に植え込んで作るものをいうらしい。「緑花像景アート」と言っている。立体花壇とも言っている。
木本類を刈込んだり誘引したりして作るトピアリーとは違いますよ、と言っている。
MIHは2000年にモントリオールで第1回が開かれ、#2-モントリオール、#3-上海で浜松が4回目になる。
あれこれ見てるとモザイカルチャーの淵源をフランスの庭園文化(のパルテール=毛氈花壇=イギリスでは自然回帰の風潮の中で廃れた)に置いているらしく、だからカナダなのだろう。
トピアリーならイタリア、イギリス、アメリカだろうから、対抗意識も感じられる。
そこへ何故浜松が?の疑問がある。
わが国でこれまで「モザイカルチャー」より「トピアリー」の方がよほど馴染みがある。
安城デンパークの牛やハクチョウはまさにモザイカルチャーだから、近隣のよしみでモザイカルチャーに肩入れしたのだろうか?
それとも緑の関連の人集めなら何でも良かったのか?
それはそれとして平面幾何学的と言われたパルテールの立体化は、今後大いに受入れられていくだろう。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞
モザイカルチャーの解説
浜松モザイカルチャー世界博2009総合プロデューサー
インターナショナルモザイカルチャーコミッティ
International Mosaiculture Committee常任理事
田代順孝(千葉大学大学院教授)
モザイカルチャーとは絵画や彫刻などの芸術と草本植物の葉や花の魅力を生かす造園や園芸の環境創造技術が融合した全く新しい文化創造のジャンルです。あらかじめ構築された金属フレームの像の表層部に多種、多彩、多様な生きた草本をデザイン通りに植え込んで作る人、動物、風景などの像及び群像と二次元の緑花床で景観を創造する「緑花像景アート」と定義します。
モザイカルチャーで作り出す像(作品)は様々で、現実の、あるいは想像上の人、鳥や哺乳類などの動物の単体または複合体、物語のシーンなどを表現します。作品は創造的モチーフによるデザインに従って金属フレームを用いで構築された像の原型の表層部分を植物が生育できるマットで覆い、あらかじめデザインされた色彩や模様に従って、慎重に選択された、多種、多彩、多様な花や葉の美しい草本を無数植え込んで作ります。この草本はプラグ苗で育て、根がついたまま植えむことによって生長します。生長に応じて美しさの表情を変えてゆきますから、適切な刈り込み技術を駆使しながらデザインされた美を持続させます。また二次元の絵画的表現も可能です。
ボックスウッドなどの木本を長期間にわたって刈り込んで仕立て上げるトピアリー、平面的な基盤に草花を挿入するだけのフラワーボード、立体的植木鉢設置装置などで作る立体装飾などはモザイカルチャーではありません。
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2008.04.27
ビルバオ・グッゲンハイムとかパピーとかジェフ・クーンズとか、普段から美術に接している人にはとっくに常識だったのだろうが、私は雑誌の美術館紹介を見て初めて知ったようなことで、まことにもって縁なき衆生である。
12メートルの巨大トピアリーの美術評価は?と聞かれても見当もつかない。
随分と議論された作品だっただろうに。
ただ、ジェフ・クーンズは相当突飛な人らしい。あちこちで物議をかもしているようだ。
~~~~篠原有司男~~~~~~~~
パピーの爪先から耳までの高さは43フィート (13メートル)あり、この彫刻は内側から水を注ぐシステムとなっており、その重さは25トンとなる為、それを支えるのに必要なステンレススティールの補強材から建造されている。 また、70、000以上の花が植えられ、キンセンカ、ベゴニア、インパテエンス、ペチュニア、ロベリアが、このステイールと土の補強材から花をのぞかせる事になる。
~~~~ウィキペディア~~~~~~~~
1992年にクーンズはドイツのバート・アーロルゼン(en:Bad Arolsen)での展覧会のための作品制作を委嘱された。そして生まれたのが、高さ12.4mの、鉄の骨組みに種々の花々を植え込み、それを子犬(パピー)のウエスト・ハイランド・ホワイト・テリアの形に刈り込んだトピアリー彫刻『パピー([edit] Puppy)』である。1995年に彫刻はいったん解体され、シドニーのポート・ジャクソン湾の現代美術館に、より長持ちするようステンレス鋼製の骨組みと内部に灌漑システムを備えたものとして再建された。1997年にはソロモン・R・グッゲンハイム財団が購入し、スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館のテラスに移された。その除幕式の前、庭師に変装した3人組が彫刻の近くに爆薬を仕掛けた植木鉢を置こうとしたが、ビルバオ警察によって未遂に終わった[6]。以降、『パピー』はビルバオ市の象徴となった。
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2008.04.25
雑誌「Pen」の最近号がスペインの「バスク」地方の特集を組んでいたので購入し、読んでいる。
中に「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」の記事もあったので読んだ。
フランク・ゲーリーの斬新なデザインのこの美術館のことは、聞いたことがあるようなないような存在だったが、この記事で少し知った。
私が特に注目したのは、美術館の前に設置されているというジェフ・クーンズの「Puppy」という作品である。
この作品は1992年に制作され、世界各地で展示されて1997年から現在地にある。
なにしろ高さが12メートルもある犬(ウエストハイランド・ホワイトテリヤ)の像だ。
そしてこれがスタッフド・トピアリーであるらしい。(水苔を使ったトピアリー)
ふーーん。知らなかったなあ。
それにしても「Puppy」の写真を見て思い出されるのが安城デンパークの牛のトピアリーだ。
初めて安城の牛の写真を見た時には「凄いものを作る人もいるんだ」と思ったが、どうやら「Puppy」が先行しているようだ。
安城の牛は「鉄屋」-杉浦溶接所のしょうぞうさんが作ったものだが、しょうぞうさんは家業の溶接屋を継ぐ前に立体造型を学んでいるし、ブログを見るとスペイン旅行もしている。「Puppy」を見たのは間違いなさそうだ。
そういうことか。
(しょうぞうさんの作品は他の作品を含めて非常に完成度が高く、ある意味で「Puppy」を超えている。)
しかしジェフ・クーンズにこの巨大なトピアリーを作る示唆を与えたのは何だったのだろう?


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2008.04.20
アイビーのタワーを作った。
四角いコンテナーにオベリスクを立て、アイビーとクレマチスを植え込んだ。2鉢作った。
ヘデラ-ヘリックス-グレーシャー
ヘデラ-ヘリックス-ゴールデンハート
クレマチス-ダッチェスオブアルバニー
本当は幅30cm高さ1.5mくらいの鉄製のトレリス4枚で箱形のタワーを作り、そこにアイビーを絡ませたかったのだが、そんなトレリスがなく手持ちのオベリスクで代用したのである。
こんなアイデアもトピアリー漁りの中で湧いた。
朝顔の行灯仕立の伝統もあり、つる性植物をタワーに仕立てるのは珍しいことではないが、常緑のアイビーをきっちり四角に仕立てるのは面白いのではなかろうか。
このオベリスクでうまくいったら鉄のトレリスを特注しよう。
添付の鉢花の写真は「トキ草」である。
2月28日に芽分けして、いま7鉢咲いている。




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2008.04.16


この写真は何であるか。
左様。柘植を植えたのである。
いろいろさ迷った挙句、結局英国風のスタンダードタイプを作ってみたくなった。
かくしてYAHOOショッピングで千草園芸から柘植を1株682円で購入し、近くのホームセンターで鉢を780円で購入した。
ただし鉢は最初に買ったのがサイズが合わず、2通り買ったことになる。
さて3年後、どんなことになるか。
隣りに嬉しそうに写っているおっさんは3年後どんな顔になるか。

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2008.04.11
持つべきは友である。
トピアリーに首を突っ込んだものの、当初のイメージに反してだんだんと<水苔にプミラ>とか<メッシュのフレーム>とか、貧乏臭い世界になってきて嫌気がさしてきていた。
昨今のトピアリーとはこんなものか。
そこに今日、添付の写真が送られてきた。
新潟のOさんからである。
この巨大な壷を見よ。
ゴルファーを見よ。
しかも商品として制作され、展示陳列されている。
これでまたトピアリーの研究を続ける元気が出てきた。




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2008.04.08
トピアリーに関して2冊の本を読んだ。
1.「モスワーク-オランダのガーデンから」」(朝山和代 誠文堂新光社 1800円)
朝山さんはフラワーデザインから入り、切花輸入商社のオランダ駐在員を経て独立、現在「フローラモア」としてオランダ事情の紹介や資機材・花材の輸入などを行っている人である。
この本ではオランダのモスワークを紹介しながら、幾つかの制作例を解説している。内容はメタルのフレームにモス(水苔)を詰めて、そこに植物を植え付ける手法である。この本では50-60センチ以内の小品が多い。
日本ではこのタイプも「トピアリー」の範疇に入れているが、彼女は一貫して「モスワーク」と称し、トピアリーの語を使っていないのは1つの見識であろう。
2.「Container Topiary」(Susan Berry、New Holland社、ロンドン、1700円)
アマゾンで見つけて1700円と安かったので買った。
ツゲを刈込んで作るまさに伝統的なトピアリーの制作教本である。フレームも使わない。
「コンテナー・トピアリー」だから小品が多いが、イギリスの園芸家の息吹きに触れるようで楽しい。




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2008.04.06
昨日、メッシュトピアリー講習会に参加した。
主催は小岩金網㈱トピアリー部、場所は浅草。
国際通り「浅草ビューホテル」の裏側に隣接している。
小岩金網は全国に支店・工場を持ち、従業員は400名、金網でそれなりの事業を展開している会社のようだ。
何故「トピアリー」なのか、そこが判らない。
今回受講しても、トピアリーに対する会社の目的・コンセプトは判らなかった。
そういうことを明確に打ち出す会社ではないようだ。それもいい。
私が受講したのは、トピアリー講習会など他にないからである。(水苔を詰めてプミラを植えるだけのはあるようだが。)
何故トピアリーに関心を持つのか自分にも判らない。
これぞライフワークなんて思いはさらさら無いし、それほど奥深い魅力があることとも思えない。
いつもの、新しいことに首を突っ込みたくなる癖の発現なのだろう。
小岩金網の「メッシュトピアリー」とは、金網でフレームを作り、そこに植物を添わせるものである。
昨日の講習は金網から「子犬」と「スワン」のフレームを作り、鉢のキンメツゲにフレームをかぶせて誘引する内容だった。
金網は教材用に全部型通りに切断されていたが、それでも1体の制作に2・5時間くらいかかる。
結局9時から5時半までのハードな講習だった。
さて感想は。
私は金網のフレーム作りに趣味は無い。これからもあまりやる気はない。
もっと植物の部分、どんな植物をどう使うか、そこを聞きたかったのだがその話はほとんど無かった。
私はこの部分を私なりに研究していきたい。
会社としては講習会を通じてネットワークを拡げていきたいようだ。
もう1回受けると「トピアリー講師」に認定してくれるそうだ。
講師になって講習をする気はないが、情報源として繋がっておきたい気はする。
今回の講師の1人宮崎雅代さんが7月に「トピアリー」という本を出すそうだ。目次を見ると面白そうなので買うつもりだ。
~~~~~~
昼食は会社のすぐ近くの「富士」の「ランチ・上天丼」が900円で旨かった。
昼休みは「かっぱ橋商店街」を散歩した。
夕食は「今半」の「すきやき御膳」。
妻への土産は「かみなりオコシ」。



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2008.03.24

トピアリーの研究がここまで進みました。
<トピアリーの大研究>
アイビーがすくすく伸び始めました。
これでしばらくお休みです。
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2008.02.27
どういうわけかトピアリーに嵌まっている。
今日は遂にオランダからのトピアリー・フレームが到着した。
馬1頭とウサギ2羽と犬1匹である。
原産はポーランドだそうであるが、なかなかしっかり出来ている。
このままでも飾れるくらいだ。
多分同様なものを中国で作らせるよりしっかりしているのではなかろうか。
オランダで、あるいは一般には水苔を詰めてそれに多肉植物などを植え込むらしいのだが、私はどうしてもツゲ、コニファ、アイビーでやってみたい。
適当な樹種をこれから選定して注文して植え込んで、そして半年1年かかるのである。
気の永い仕事である。
しかしやってみよう。
トピアリーについて調査を始めている。まだ序の口だが、<ここ>をご覧頂きたい。
嵌まっていると言っても、何事に対してもそうなのだが、私は決して全身をそれに預けることはしない。
半分か3分の1の体重しかかけない。
船の上で常にそういう体勢をとってきたせいなのかどうか。
いまだにヨットとガーデンの2本立てを続けるのはそういう性向による。
何事にも全力を傾けない私は、だからナマクラである。





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2008.01.27

ある所に大きなトピアリーを提案しようと考えた。
トピアリーというとツゲやコニファーなどを強剪定して動物などの形に仕立てたものをイメージする。
非常に人為的で、イギリスで整形式庭園から自然回帰の運動が起こった時、真っ先に忌避されたものだ。
私も嫌いである。
しかし最近、金属のフレームに苔や蔦などを這わせるトピアリーが出てきているようだ。
冒頭の写真の牛は安城デンパークに設置されたもので、鉄筋を現場で溶接し、植栽はポット苗を取り付けるらしい。だから花など季節に応じて取り替えられる。
ただしコストは100万円以上かかる。
鉄筋ではなく金網で作る試みもある。浜松フラワーパークにあるらしい。
注目したのは熊本の業者がアメリカから輸入した金属フレームである。
この写真の馬は高さが2m、長さも2m以上あって10万円くらいという。ただし一度入れたが面倒でもうやめたそうだ。
そうこうしているうちに、オランダから輸入しましょうという業者が現れた。
同じような馬で20万円以下だ。
ところで提案先からまだOKが出ないので発注に至らない。

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2008.01.10

昨日は上京し12,700歩、歩いた。
普段うちにいると毎日5,000歩平均だから大変なことだ。
うちを7:15に出て城ヶ崎海岸駅まで1,000歩。伊豆急線、JR伊東線、新幹線、山手線と乗り継いで原宿駅に着いたのが9:35。
原宿からOクリニックに向かい、胃の検診を受けた。10数年の馴染みである。
胃も食道も十二指腸も異常はないと診断された。一安心だ。
実はこのところ食事の初めに時々噎せる。外食の時が多い。「歳なんだからゆっくり食べなさい。」と諭された。
渋谷まで歩き、地下鉄で銀座四丁目、松屋に行った。「小堀遠州-美の出会い展」を見るためである。
展示は大したことなかった。茶器や書、茶人としての展示ばかりで、建築家、造園家としての遠州を偲ばせる現物展示はなかった。
これは企画のほとんどを茶道遠州会に丸投げしたせいであろう。
主催の朝日新聞社としては器量の小さい、見識のないことである。
それから「イトシア」(だったかなあ、丸井の新しい店)に行って靴を買い、八重洲ブックセンターまで歩いた。
雑誌「Cruising World」誌の新しい号が欲しくて探したがなかった。先日丸善にもなかった。
そして東京駅から帰宅した。
妻は週日は横浜暮らし、ロビーが腹を空かしトイレを堪えて待っているから急がねばならぬ。
かくして12,700歩であった。
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出掛けに撮ったわが庭のエリカの写真を添付する。
~~~~~~
旗を立てたヒラリーとマケインが勝った。
何となく楽しい気分になる。

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2007.11.16
植栽を担当している与那国馬ふれあい牧場にハンギングバスケットをぶら下げた。
ロッジ&レストランの県道側壁面に、はじめ樹を植えるとか鉢を置こうとか言っていたのだが、どうしても駐車の妨げになるのでハンギングバスケットを提案したのだ。
昨日、やっとそれを提げた。
吊り下げの金具に馬のデザインのを見付けたのが効いた。
ただしアームの長さが若干短く、バスケットも当初のイメージより小さくなった。
植えたのは、「ゼラニウム」「しだれビオラ」「ヒューケラ」「テイカカヅラ」「スイートアリッサム」「ブラキカム」の6種である。
ビオラ以外は多年草である。
ハンギングバスケットのプロはバスケットの側面にも穴を開けて植え込むのだが、それは乾燥も進むし寒気も入るし、こういう場所には不適と考え側面には植えなかった。
5つ並べてみるとまあまあである。


~~~~~~
ここからは営業の裏話。
ネットで馬のデザインのブラケットと、素敵なバスケットを見付けて発注した。もちろんサイズは測ってある。
ところが到着してみるとどうもブラケットとバスケットの大きさのバランスが悪い。
バスケットの良さをとって、アームの長いブラケットを購入した。デザインは無粋である。
どうにも気に入らなくて、馬のブラケットに合うサイズのバスケットを近くのホームセンターで購入した。
その後別の店でもっといいバスケットを見付けて購入した。
結局ブラケット2種、バスケット3種を購入したことになる。
余分に購入した分は請求できない。
素人の営業とはこういうことか。
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2007.11.07
今日は5月-10月に行ったガーデンデザイン勉強会のメンバーで、<与那国馬ふれあい牧場>の食堂で会食をした。
9名が集まった。
私がデザインし植栽した構内の花壇を案内し説明して、いささか鼻高であった。


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2007.10.19
本日、伊東市富戸の「与那国馬ふれあい牧場」のオープンであった。
私はひょんなことから、ここの植栽を手がけている。
「与那国馬ふれあい牧場」は出版社の宝島社の運営である。
何故出版社が牧場をやるかについては先に
「馬とヨットと花」にその一端を書いた。
また筆が伸びて
「草月流武田陽信とシドニーホバートレース」を書いた。
私が植栽をするについては「アラビアンホースに乗って」の主人公蓮見清一氏(宝島社社長)と直接関係はない。
要するにガーデンデザイナー森下一義が宝島社に見出されたのである。エヘン。
富戸にはもともと宝島社の牧場がある。冬場、アラビアンホースを置くためである。夏は北軽井沢に置いているそうだ。
与那国島には与那国馬がいる。絶滅危惧種?だが近年やっと70頭まで回復した。
1ヶ所に置いては危険が伴うので伊豆に預かってくれとの話があり、宝島社がうけた。今年5月に5頭がやってきた。9月に1匹生れて6頭になっている。
与那国馬はやや小型の馬で性質はおとなしい。
宝島社ではただ置いていても仕方がないので、「ふれあい牧場」として有料で曳き馬をすることにした。
併設でロッジとレストランを設けた。
そのオープンであった。
私の植栽デザインの中心は、県道および伊豆急線から見上げる丘の稜線に物見やぐらを建てることであった。
すぐ脇に形のいいクスノキが立っている。
結果として予算面から私のイメージの3分の1のサイズになってしまったが、アイキャッチャーとしての役には立っている。

そして地面を掘ればいくらでも出てくるゴロ石で囲って花壇を3ヶ所作った。パーゴラを建てた。
コンセプトは花木、潅木、多年草を主体とし、1年草は入れない。メンテを極力省くためである。
だいたいうまくいったが、物見やぐらの下のC花壇のパンパスグラスがうまく着かなかった。
本来なら3メートル高さで白い穂を開いてくれるはずだった。下の写真の左のコーナーである。来年は伸びてくれるだろう。


花壇C越しに花壇B、パーゴラ、その右前方に花壇Aが見える。
左下が曳き馬の馬場、先方がロッジ&レストラン。
追加でレストラン前に1,5×20メートルのボーダーガーデンを作った。
ここはさすがに1年草はゼロとはいかず、植込みに追われる。
それでもストレリチア、ニューサイラン、ガウラ、ジンジャー、リトルエンジェルなど嵩高い種類で埋めている。
今植える1年草はスイートアリッサム、ガーデンシクラメン、ビオラ、ストック、キンギョソウなど来年3月まで咲くものである。
夏に植えたコリウスの100円×10株が見事に主役を務めている。





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2007.10.05
昨日、ビッグサイトで開かれたジャパン・ガーデンショー2007に行った。
なんだかあまり満足しなかった。
このショーはこれまでは横浜でやっていて、ビッグサイトで開かれたのは今年が初めてである。
4-5年前に行って、割りにこじんまりしているが楽しいショーだったと記憶している。
主催は「NPO法人ガーデンを考える会」という団体だ。主な後援は環境省とかジェトロ。そう、ちょっと変わっている。
普通ガーデンショーといえば農水省とか建設省だろう。ちょっと亜流というか、変わっているのである。
その変わっているところがショーとしていい味を出していたと思うのだが、今回からビッグサイトに移って、広いスペースを使いこなしていないようだった。
これからどういう方向を目指すのかも、見えなかった。
私としては大型の鉢、オーナメント、モデルガーデン、新製品、即売品を楽しみにしていたが、そのどれも充実していなかった。
ショーのテーマを「Myポタジェ」として、花壇や菜園を生活の中心に据えるライフスタイルを提案するのだが、それは本当に1区画だけで、会場全体にテーマは通用していなかった。主催者に参加社全部、会場全体をリードする力が無い。
大学とか専門学校がスモールガーデンを4つ出していたが、写真を撮ったのは1枚だけだった。日比谷公園のガーデニングショーのモデルガーデンの方がずっと楽しい。
E&Gアカデミーのキッチンガーデン

新製品もほとんど見なかった。中部電力が石炭の燃えカスから作った土壌再生剤を出していて安かったので注文した。今度のIGCのフリーマーケットで売ろう。
ラン展、バラ展のような即売はない。これが楽しみなのに主催者には判らないのだろうか。
ちょうと切らしたNZのハチミツを売っていたので買った。
ガーデンの図面や植栽図を描くCADソフトを2軒ほど宣伝していた。値段を聞いたら80万から100万以上だ。あまり安くなっていない。「リースなら月に1万5千円ですよ。」と売り込んでいる。
私は4年前に3800円のソフトで植栽図を描くネット講座を開いた。あまり成功せず、手間がかかるので今は閉鎖している。
反省点は値段の安さにあった。高額なソフトは機能が充実し、扱いが易しいのである。安いソフトは、手間をかければ高いソフトと同じような図面も描けるのだが覚えるまでが大変なのだ。
それと受講者は素人の趣味ではなく、仕事として使う目的の人が多かった。仕事に使うのに3800円のソフトでは金をとり難いのである。
せめてアドビ・イラストレーター(8万円)の方が良かったのかなと今にして思う。
馬の首のオーナメントと陶製のバードハウスの写真を載せる。


2時間で会場を出た。
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2007.10.03
5月から毎月1回開催していたIGCのガーデンデザイン勉強会が今日の第6回で終了した。
芽出度いことであった。
肩の骨を折った直後の7月も、日付を後にずらして開催したのであった。
8人いたが、みな最後まで続いてくれた。
もともとIGCの後継者を育てる目的で始めたことである。
役に立ったと信じよう。
自分にとっても教材を作ることで大変な励みになった。
6年前に一度やっていることだし、ネット上でもそんな講座を作っていたから新たに作るものではなかったが、それでもリニューアルには気合が入る。
いよいよ本格的にガーデニングおじさんになった気分である。
来月、新しくオープンする「与那国馬ふれあい牧場」のレストランで反省会の食事会をする予定である。
私はいまここの庭園部分を請負っている。それについてはおって報告しよう。
明日はビッグサイトのガーデンショーを見に行く予定である。
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2007.05.30
2001年に毎月1回、ほぼ1年をかけてガーデンデザイン勉強会をした。
仲間は伊豆ガーデニングクラブの有志8名であった。
実は2000年に私は英国のガーデンデザイン通信講座を受講した。
結果は送られてきたテキストを流し読みしただけだった。演習問題もやらなければ、卒業レポートも書かなかった。要するに落ちこぼれた。
例えばレポートでいえば、「誰か1人好きなガーデンデザイナーを選んでレポートを書け」という課題だったが、私は<小堀遠州>を選んで本を2,3冊読んだだけでレポートをまとめることはしなかった。そもそも私にそんなレポート能力も英作文能力もなかった。
翌年、ずるい考えが浮かんだ。
自分1人ではやれないことも皆でやれば出来るかもしれない。
そこで伊豆ガーデニングクラブで同志を募って、同テキストの輪講を始めた。
8人集まり、毎月当番が翻訳してきた部分を皆で勉強した。
ご承知の通り流し読みするのと翻訳して日本語に定着させるのとでは雲泥の違いがある。
それを1回の休みもなくやり通した。よくやったものだと思う。
この時のメンバーが今伊豆ガーデニングクラブの中核になっている。
そのメンバーも老いてきた。
伊豆ガーデニングクラブは新しい中核メンバーを必要としている。
その思いを秘めて新たにガーデンデザイン勉強会を呼びかけたところ9人が集まった。
しめしめ。
今日が第1回の勉強会だった。
女性6名。男性3名。
頑張ろうぜ。
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2007.04.04
熱海に所用の帰途、アカオ・ハーブ&ローズガーデンに寄った。
アカオホテルが山から海まで広大な土地をガーデンに作っているところである。
入場料1000円。日本庭園、ローズガーデン、ウエディングガーデン、ハーブガーデン、レストラン、売店などいろいろある。
海が見えるし、南斜面だし、ハーブの香りがして気持ちが清々する場所だ。
まだバラは咲いていないしハーブもこれからだったが、チューリップをはじめとしてノースポール、ビオラ、スイートアリッサム、水仙など花々は一杯咲いていた。
1枚目の写真は遠く初島を望む。手前の山にいろんな桜樹がきれいだ。

2枚目は花壇の写真。赤いチューリップの球根を埋めた間にノースポールの苗を植え、周囲にラッパ水仙と薄紫のビオラを配し、その外側にスイートアリッサムの構成である。
ノースポールの背丈が思ったより伸びすぎてチューリップとのバランスがおかしくなっている。チューリップの赤が強すぎる。ラッパ水仙とビオラの色の取り合わせも悪い。

3枚目。ラベンダー・デンタータは見事に咲かせているが、黄、橙のビオラとは色が合わないのではないか?

と意地悪爺さんは思うのである。
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2007.02.25
昨日は「庭を見てくれ」というガーデンデザインの見込み客の庭を訪問した。
伊豆高原のあたりをご存知の方に少し説明すると、135号を下って八幡野、赤沢を過ぎて左手海側が浮山地区となる。
昭和30年代に殖産住宅が開発した別荘地で、単位面積も広く、建物も大きく、別荘地としてのステータスは高い。高かったというべきか。
しかし分譲時期が古いため当初のオーナーは老齢化し代替わりとなっている。殖産住宅自体も消えてしまった。そんなこんなで地盤沈下である。
しかしこの辺は国立公園内で建蔽率20%となっているのでスラム化することはない。
車での通過客の目に触れることはないが、右手山側に幾つもの別荘団地が続く。
浮山のすぐ上が「名鉄赤沢」で、「赤沢恒陽台」「望洋台」「コマツ汐見台」「熱川ダイヤランド」などと続く。
高い山の上まで連なり、上の方は冬には寒かろう。
訪問したのは「コマツ汐見台」の中である。
素晴らしい眺望だった。
伊豆大島、利島が目の前だ。まったく素晴らしい。
120坪ほどの分譲地で高台の平地である。家は6年前に建て、定年になった3年前から月の半分くらい来ているそうだ。
自分なりにしこしこと庭をいじっているが、どうにも形にならない。
そこでガーデンデザイナーへの依頼となった。
私は次の提案をするつもりだ。
1.風の吹き上げる南西側にしっかりした防風の塀を作る。
普通なら生垣を考えるところだが、ここの風は生垣では不十分だし、風で阻害されて充分に成育しないだろう。
2.回遊路
庭にはまず回遊の通路を作るのがわがポリシーである。
3.パーゴラ、ベンチの設置
アイキャッチャーとしても必要だ。
4.毎日の水遣りを必要としない植栽計画

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2007.02.18

今日は旧正月である。
正月に東京マラソンとはまことに目出度いことであった。
これからも毎年旧正月にやるのかな?
交通事情からそうはいかないだろう。
来年の旧正月は太陽暦の2月7日木曜日である。とても車を止められない。
ところで今日のコースは素晴らしかったが、画竜点晴を欠いたのはゴール地点の環境である。
狭苦しいコンクリ通路の一角であった。
(写真を探したが有森のゴール写真しか見つけられなかった。)
あの場所の詳しい図面があればMakeUpのデザインをしてみたい。
コンテストでもやらないかなあ。
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2007.02.11
昨日の朝日新聞Be版「フロントランナー」に、日本庭園デザイナー枡野俊明氏がとり上げられていた。
大新聞だから目に留められた方も多いだろう。
私は枡野氏の作庭の実例を知らないが、著作の1つを読んだことがある。
そしてこの人をあまり好きでない。
著書「夢窓疎石-日本庭園を極めた禅僧」の読後感をこの通信に書いた。05・8・8
再録
この感想は甘すぎた。今ならもっと厳しい批判を書くだろう。
それには1年後の06・7・8に立原正秋氏の「日本の庭」を読んだ影響が大きい。
再録
立原はこの文章を76年の1月から10月まで芸術新潮に連載した。
韓国人の血を承ける立原が、初めて日本文化を論じる舞台を与えられて真正面から取り組んでいる。
そして文壇の大御所志賀直哉、学会の大御所久松真一に噛み付く。
実に清々しい。
私は庭であれ何であれ、物事にあまり精神性をもたせることに反対なのだ。
<庭を採点する>ことに志を樹てたのも、精神に関係なく庭を評価しようと思ったからだ。
枡野氏が<枡野俊明-日本庭園を極めた禅僧>と思い始めているのでなければいいが。
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2007.02.06
今日は伊豆の西海岸を巡った。
目的は岬にある木製デッキの展望台の写真を撮ることである。
実は某所のガーデンデザインの仕事で「物見やぐら」の提案をしている。
伊豆西海岸の岬の各所に展望台が設置してあるのを思い出し、施主および工事業者の参考に写真を見せたいと思った。
修善寺から虹の郷の前を通って戸田に降りる。
その途中に「瞽女の供養塔」がある。悲しい物語があるのだが、それはおいておいて、そこに木製の展望台があった。(写真1)

戸田からちょっと大瀬崎方面に「出会い岬」がある。ここにも展望台。
「恋人岬」が大当たりして以来、岬とあれば今風な名前を付けて展望台を作るのが大流行だ。
戸田の港を見下ろした。(写真2)私の最も愛する場所だ。

土肥の手前に「旅人岬」というのが出来た。重岡建治さん作の彫像が飾ってあって素敵だが、ここの展望台はコンクリ製だ。
土肥の港を過ぎていよいよ「恋人岬」。(写真3)
ここは車止めから岬まで1キロ近くあり、デッキ歩道が300メートル以上もあるのにまったくお金を取らない。

安良里港。
港の外れに砂利骨材の積み出し桟橋が出来ていた。バブル時期以来久しぶりに見る風景だ。
しかし漁港は静かなものだ。老人がひっそりとボートの手入れをしていた。(写真4)背景は港内のヨット溜まりである。

その後堂ヶ島洋ランセンターの展望デッキにも上って写真をとった。
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2007.02.02
今とんでもないことを考えている。
私はオープンガーデンを中心にあちこち庭を巡るが、その一つ一つに点数を付けようというアイデアだ。
コンテストではない。各地に散在する庭の絶対値比較である。
かねてその必要を感じていた。
いいとか悪いの印象批評ではなく、絶対値での採点が欲しいと思っていた。
例えば他所の土地の人に「伊豆オープンガーデンのどの庭を見たらいいか?」と聞かれて、なんとも答えに窮するのであった。
イギリスの名庭でも日本庭園の名園でも、名庭・名園となれば長い歴史の中でそれなりの評価が定まり、いろんな解説も多い。
しかし得体の知れない訳の判らない個人の庭を、しかるべき解説もなしに「どうぞ見に来て下さい。」と言うのはまことに僭越で申し訳ないことだと思っていた。
京都に行くにも伊豆に行くにもそれなりに時間と運賃がかかるのだ。
狭いなら狭いなりに、未熟なら未熟なりにその度合いを数値として提供すべきではないか?もちろん良い所も数値で現す。
それが情報公開ではなかろうか?
それを判った上でお客さまが来てくれれば嬉しい。
京都の名庭に及ばずとも、それでも個人の公開する庭に来て下さる方がいるはずだ。
反論も多いだろう。
<点を付けるのなら私はオープンガーデンに参加しないわ>
<好きでやっていることなのに、どうして他所と比較されなければならないの?>
<そんな採点、誰がするの?>
<採点基準があるの?>
<そもそも他人の作っている庭を採点するなんて、倫理的に許されるのか?>
まことに困難な道である。
この道を切り拓くことは私には出来ないかもしれない。
私が敢えて「庭に採点する」ことを考えたのは、「ワインの帝王-ロバート・パーカー」という本のことを知ったからである。
パーカーは彼の知るすべてのワインを100点満点で採点し公表しているという。
味覚の分野で絶対値の評価が出来るのなら、庭巡りの分野でも評価が出来るのではないか?
いや、やらないのは怠慢ではないか?
私は酒を好まず、ワインを嗜まないのでこの本を読んでいない。
しかしそこにワイン評価の採点基準が記されているなら読まねばならない。
世の中には多くの採点競技がある。体操。フィギュアスケート。飛び込み。シンクロ。スノーボード。ジャンプ。馬術。・・
これらの採点基準は参考にならないか?
世にグルメ評論は多い。そこに採点基準はないのか?
まずなすべきは庭を評価する採点項目の作成であろう。
道は遠い。
どうか大方の皆さまのご教示、ご指導をお願いしたい。
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2007.01.25
ガーデンデザインの仕事の引き合いがあった。
私にとっては大きな仕事だ。
現場を見に行った。
2000坪くらいだろうか。ただ3分の1が法面である。
最初見た時は何もイメージが浮かばず、これは駄目だと思ったが、4-5日寝かせたらいいアイデアが浮かんだ。
これなら採用になるかもしれない。
早速絵にしようと思ったが、さて難しい。
このブログを読んで下さる方はもうご存知だが、私はラグビーと麻雀とヨットとガーデニングで日を送ってきた人間で、きちんとした絵を描く素養はないのである。
なんとか写真を貼り合せて送った。
それにしても我ながら驚いたのはわがパソコン内の画像および画像処理ソフトの数である。
フォトショップ、イラストレーター、ペイントショップ、花子、GCrew8、水彩、ペイント、Vix、この他ガーデニングに特化したソフトも幾つもある。名前も忘れてしまった。
どれもきちんとマスターしていない。だから沢山あるとも言える。
この際、どれかをマスターしなければいけない。
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2006.10.22

20日、幕張からの帰りに日比谷公園のガーデニングショーに寄った。
昨年も行ったのだが、なんとなく昨年の方が華やかだったような気がする。天候のせいだろうか?
<ガーデンの作例><ハンギングバスケット><寄せ植え>の部門がある。
構成はほぼ同じだが、新たにベランダ・ガーデンの部門が出来て、10あまりの作品が展示されていた。
たまに都会に出てあのマンション群を見るとベランダ・ガーデンへのニーズは当然と思うし、その内容が充実し向上していくのは結構なことだと思う。
それにつけてもベランダ・ガーデンを見るのはそこの家族だけというのは淋しい。
なんとかベランダ・ガーデンをもっと開放する方法はないものか。
ガラスビンを幾つもぶら下げて野菜を育てているベランダ・ガーデンがあったので写真を載せる。
ハンギングバスケットはレベルが高かった。
寄せ植えは鉢を幾つも並べると限りなく庭に近づいていく。
即売の店が出ていなくて淋しかった。
昨年ここで買った紅の大文字草が、今わが家で盛りに咲いている。


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2006.10.11

今日は中伊豆中央公民館でハンギングバスケット講習会の講師を務めた。
参加28名、こんなに多勢を教えるのは初めてだったので緊張した。ハンギングバスケット・マスター仲間のTさんに助手をお願いした。
私の行った準備
・容器の調達(HB協会の推薦品を使ったが、現物を引き取りに行かねばならない)
・試作(どんな苗が幾らで調達可能か実際に作ってみた)
・ナーセリーと花材選定の打合せ(市場で入手可能な苗を選び、当日会場に搬入してもらわねばならない)
・用土や水苔などの調達
・会場の下見
・調達苗の検分(名前だけではサイズなど判らないので、調達した実物を検分してデザインを修正した)
・植込み配置表の作成(受講生にコピーを配布する)
・当日-容器、用土などの搬入(マイカーにぎっしり一杯になった)
・当日-会場準備(伊豆市から係員が4人も出て至れり尽くせりのサービスだった)
ハンギングバスケットの良否は花材選びでほぼ決まる。
今日使った花材は次の14種である。予算の3000円内におさめた。
上面
コンシンネ(中央)、リンドウ、イソギク、ユウゼンギク、アサギリソウ、ブラキカム
縦のスリット(5本)
モミジバゼラニウム(中央)、初雪カヅラ、キャットテール、木白香、スイートアリッサム、アカバセンニチコウ、アキランサス赤、フィットニア
受講生はいろいろである。
花の名前を書いた図面を渡してあるのにとんでもない配置で植えている人がいる。
<表にこだわらないで自分の好みで植えてもいい>と最初に言ってあるのでそれかと思ったら、苗の名前が判らないのであった。
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2006.07.10
先日横浜三渓園に行ったところ、開園100周年の記念カタログを発行していたので購入した。
巻末の資料編に出ていた往復文書をご紹介する。
オープンガーデンをしている者にはとても面白い。
寄稿者の前田曙山は当時の大衆作家で、庭園批評もしていた人らしい。前田は三渓園が一般公開されていると知って驚いている。
対する原三渓は園主であり、生糸貿易で当時神奈川県の最多額納税者であった。趣味人として茶器書画の蒐集でも名高い。
~~~~~~
三渓園の設計について 前田曙山
【横浜貿易新報】明治43年3月7日
本牧の三渓園は、富豪原氏の別墅としてかつ又横浜唯一の庭園として有名である。予は園芸上参考の資料として一度参観の栄に浴さんとして果たさざりしに、偶ま畏友富田君が文筆の士を此処に招くに陪して、去る2日初めて宿志を果たすを得た。夫で聊か園内を瞥見して感じた所のものを以って愚意を述べるのは、冀はくは園主が庭園を公開するの意に副い、更に富田君が客を迎ふるの好意に酬ゆる所以であろうと信じる。
凡そ庭園の設計を批評するには、設計図を一見し、設計者の説明に聴き、園主の嗜好をも知らなければならぬ。然るに予は全然此の三者を欠いて居る。殊に四季を通じて園内の風致を見た後でなければ、一言隻句を加える事が出来ぬ筈である。然に予は春三月、梅花爛開の時に只一度見しを言うに過ぎぬから、批評眼を縦って之を見ることは出来ぬ。只通りすがりの管見として所感を陳るに過ぎぬのは、三渓園に対して敬意を表するの途で無いかも知れないが、然し陸目八目の譬え、或るひは他山の石たらずとも限るまいと、聊か盲蛇の自信を促かすを恕せよ。
-略-
(・・・予は)三渓園を以って、公開の庭園ではないと思って居たので有る。只原氏の別墅として、園主が逍遥の閑庭で、雲賓深く韜まるる所の禁苑とのみ信じて居たのに、豈図らんや、縦覧御随意の公開地ならんとは。
凡そ我邦の富豪素封家と称すべき人々が巨大な園囿を有して居る。然し能く海の如き度量を以って、自己の庭園を公開する者ありや、恐らくは否と答ふるの外は無い。勿論俗人の雑踏、園内の掃除の煩、樹木損傷の害等、公徳心の乏しい参観人が来るので有るから、已むなく閉鎖するといふ一大理由があらうけれども、要するに自分の物は自分丈で楽しむといふ個人主義が跋扈するので、又勢い夫に傾き易きに拘わらず園主が敢えて公開する所以のものは、衆と共に楽しむといふ、極めて崇高なる観念を実現したのを見て、其人格の偉なるを認める。
予は常に園芸に関する予の著書に於いて、花卉は独占すべき者ではない、娯楽としても、科学としても、必ず衆と共に見るべきもので有ると、再三ならず唱道するけれども、之を事実に於いて用いる人はいない。其之あるは実に三渓園あるのみ。
(この後、庭の各部分についての指摘が続く)-略-
~~~~~~
前田曙山君に謝す 原三渓
【横浜貿易新報】明治43年3月15日
去る五日より十日に亘りて横浜貿易新報紙上に連載されたる前田君が「三渓園の設計に就て」の一文は君の該博なる識見に因て築庭上最も尊敬すべき批評を下されたるものにして僻遠の山荘此の貴ぶ可き批評の料となるを得たるは当に園主の喜とする所のみならず山霊も亦当に髣髴として君の案上に向て感謝するなる可し、余は今夜君の全文を再読して興懐自から禁ずる能はず三更燭を燃して柄になき筆硯三昧御笑いの程も顧みざるものは天下未見の知己に報ゆる奔馬の情止め難きが故と御察披下度候
-略-
・・・申す迄もなく天の領域たる自然の風景を利用して其の大部分を構成したるものなれば此れを公開するは寧しろ当然の義務にして然らざれば天の領域を盗賊すると異なる所なかる可し、されば世上の個人的な庭園が-略-此れに因て直に個人性の襟度の広狭迄をも高下せんと試むるは漁者が鳥の山に栖むを譏ると択ふ所なからん幸に広き側に廻されたる余の得意は去ることながら斯くては一般の庭園に対して甚だ同情に忍びざる点もあれば聊か本来の相違に就て茲に一言して君の一顧を請う所以に候
園の設計に就ては大小となく褒貶共に余の責任に属す従て世上識者の批評を聞て其欠点を補足せんことを望むの情切なれども不幸にして未だ其責任ある批評を聞くを得ざりしが今や初めて空谷跫音に接したるの心地致候、君の批評は金玉燦然として適切に園の欠点を指導せられたるのみならず其驚く可き豊富なる植物上の学殖は此を請ふて未知の植物を採集し春の雨秋の露に其紅紫を泣かしむるを得ば山荘の清興長へに尽くる時なからん、-略-
茲に余は不日簡を折して君に望む所あらんとす君願くは半日の清閑を分ち林下相携へて遍遷として暗香不動の裡君の清想を語るを聞かん君幸に之を諒せられんことを 不宣
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2006.07.08
「日本の庭」(立原正秋)を読んだ。
読んで、私の心に強く響いたのは立原の<夢窓疎石>についての項と、<龍安寺の庭>についての項である。
それはあまりに私の琴線に触れるものであったから、この書を以前に読んだことがあるような既視感に捉われたほどであった。
しかし76年(昭和51年)の1月から10月まで「芸術新潮」に連載され、77年4月に刊行された本書を過去に読んだはずはなかった。
夢窓疎石は全国に数多くの庭を、中でも京都・西芳寺、天龍寺の作庭を残した作庭家・高僧として名高い。
疎石の足取りを辿ってみよう。
1275年伊勢に生れる。4才一家甲斐へ。18才東大寺にて受戒(密教系)。20才禅門に志し建仁寺に参じる。夢窓疎石を名乗る。21才鎌倉東勝寺、建長寺で修行。22才円覚寺で修行。23才京都建仁寺へ。25才鎌倉建長寺へ。26才那須雲巌寺。28才円覚寺へ。29-30才陸奥、常陸に庵を結ぶ。31才甲斐に浄居寺を開く。33才雲巌寺。35才甲斐に戻る。39才美濃に虎渓山永保寺を開く。43才上洛し洛北に寓居。44才土佐に吸江庵を結ぶ。45才三浦に泊船庵を建て閑居。48才上総に退耕庵を建て閑居。51才京都南禅寺に入寺。53才鎌倉浄智寺に入寺。瑞泉寺を開く。55才円覚寺へ。56才甲斐に帰郷恵林寺を開く。59才鎌倉幕府滅亡。後醍醐帝隠岐から脱出。後醍醐帝に請われ上洛、臨川寺開山となる。60才南禅寺に再住。後醍醐帝より国師号を賜る。62才南禅寺を退き臨川寺に戻る。南北朝対立始まる。65才西芳寺中興開山となる。後醍醐帝崩御。67才暦応寺(のちの天龍寺)住持となる。68才「夢中問答」発刊。77才死去。
どうであろうかこの遍歴は。
時はまさに鎌倉幕府滅亡、南北朝対立、室町幕府成立の天下動乱の時代であった。
疎石の前半生には権力から離れよう、逃げようの姿勢がうかがわれるが、禅僧として名声が上がるとともに政治の中枢に取り込まれていく。
立原は書く。
~~~~~~
どこから書き始めようか。
-略-
疎石の<夢中問答>がなったのは疎石68才のことであった。彼はその数年前に天龍寺を開山している。この文章には建武中興を境にしての彼の苦衷が読み取れる。かっては後醍醐帝の厚い帰依を受け、やがて足利尊氏に追い詰められた帝が吉野で生涯を閉じると、今度は尊氏が帝を弔うために天龍寺を開山し、疎石は尊氏兄弟と手を結ぶ。疎石が苦衷なくして天龍寺開山に座ったとは思えない。
当時の仏教教団はどうであったか。前にも述べたように秀れた僧が数多く出た時代であった。浄土門あり、曹洞門あり、日蓮門あり、同じ臨済門に大燈あり、といった状況であった。
かって叡山が権力と結びついたように疎石もまた時の権力と手を組まねばならなかった。
そこには理想と現実との相克があった。後生の思想家が疎石をよしとしないのはこの点である。
しかしやがて五山文化が確立され、それにつれて数々の中世文化が花ひらき、世阿弥が能を大成し、珠光にはじまり宗易によって完成される侘茶がうまれるのは、屈折の多かった一人の禅僧疎石と権力との結びつきがあったからに他ならない。
-略-
たしかに道元という不世出の禅僧がいた。彼は、禅僧が詩文と造型芸術に足を踏み入れるのを厳に戒めた。したがって五山時代を転落だとみるものもいる。しかし五山時代なくして中世文化が生れなかったことを思えば、詩文をよくし、その生涯に振幅のはげしかったひとりの禅僧もまた一方の星であった、と看做さねばならない。
-略-
ところで「山水をこのむは、定めて悪事ともいふべからず。定めて善事とももうしがたし」という言葉は、足利兄弟と結びついた禅僧としての自己弁護ともきこえるし、自己を突き放した言葉にも受け取れる。これは時勢に応じた政治的な言葉である。かっては鎌倉幕府から逃れて名利を求めなかった山居生活者が、何故このようになったのか、とも思う。
しかし「山水には得失なし、得失は人の心にあり」という言葉はやはり胸を打つ。ここには禅僧として道元のように一直線に歩めなかった者の苦い反省がこめられている。
もう昔日のように、各地に庵を結ぶ身分にはなれない、とすれば、作った庭に思いを鎮めることで救われていた、とみるべきだろう。
今日、疎石作と断定できる庭はひとつもない。すべては伝疎石作である。それでよいのだと思う。
~~~~~~
先に「夢窓疎石―日本庭園を極めた禅僧」(枡野俊明 NHKブックス)の読後感をこのブログに記したことがある。
私は枡野の記述を全面的には受け入れられず、そのことを書いた。
「夢窓疎石」を読む
龍安寺の石庭について、立原は禅との相関性を否定する。実際に庭を手がけたのは山水河原者と呼ばれる職人たちであり、龍安寺の庭が美しいとしたら、それは石の1点の位置を決めた職人の美意識だという。
曹洞宗の庭、浄土宗の庭にも枯山水はあるではないか。
立原は龍安寺の庭についてこのように精神性を言い出したのは、大正13年志賀直哉が発表した一文「龍安寺の庭」以来だという。そしてその全文を引用する。
ここへの引用は省略するが、志賀への批判は厳しい。
~~~~~~
志賀の一文が出るまで、枯山水と禅を結びつけた論はなかった。それまで日本人にとって庭は「風流」の対象であった。風流は荒びである。志賀以後の多くの論者は、志賀の恣意的な趣味判断を鵜呑みにして、そこから自分に都合のよい骨組みをつくりあげ、それに整合するように論を展開したにすぎない。すべて空論であった。
志賀が龍安寺の庭について書いた文章を、一種の純粋直感とみてもよいが、しかし経験的直感の基礎にはなり得ない内容である。私が志賀の美意識に限界を見るのはこの点である。
-略-
その趣味判断は感情判断にすぎず、瞭らかに観の感覚の不完全を視ることができる。志賀以後じつにたくさんの人達が枯山水と禅の相関関係について書いているが、それらはすべて概念のない主観的普遍性と必然性を論じてきたにすぎない。
志賀の「龍安寺の庭」は、関心のない快感性によって表出された内容である。なんの苦悩もない人間が通りすがりに見た庭である。言いかえると、他人の荒びがそう簡単に見えること自体がおかしいのである。志賀に見えたのは自分だけであった。「暗夜行路」の中で主人公が娼婦の乳をまさぐり、豊年だ、という箇所があるが、あれと同じである。これは量の問題になるが、狭い志賀の視線は無責任である。
~~~~~~
立原はまた久松真一(京大教授)の名著とされる「禅と美術」にかみ付く。
~~~~~~
つまり久松氏は「禅のもつ七つの性格」を設定し、それに整合するように庭を解釈しているわけである。この放胆な空論は志賀とは別の意味で無責任である。何故こんな通俗的な長い文章を引用したかというと、今日、殆どの人が志賀、久松氏のように枯山水をみており、知的ミーハー族、女の子、禅に興味を抱いている外国人、殊にアメリカ人あたりに恰好の説明文になっているからである。スーベニアショップ向けの内容である。
久松氏は疎石が庭を造ったと断定して「そこに禅的なもの」「禅の表現」をみているが、曖昧である。こうした論は自分だけが見えた志賀の一文よりたちが悪い。龍安寺の庭の石に「犯しがたい威厳」があるとか、苔が「幽玄という点で非常に大事な役割を演じている」とか、「誤魔化しがないだけに、見ることが難しい」とか断じている。単なる造形物にこんなに空疎な言葉をあたえてどうしようというのか。
~~~~~~
ほとんど立原の文章の紹介ばかりとなったが、「日本の庭」はまさに私の気持ちを代弁してくれる評論であった。
最後に立原正秋の略歴を載せておく。
~~~~~~日外アソシエーツWHOPLUS~~~~~~
両親は韓国人で、生まれた時の名前は金胤奎。5歳の時に天燈山鳳停寺の僧侶だった父を失う。
9歳の時に母が妹たちを連れて日本に渡り、叔父に預けられるが、叔父も済州島の病院に赴任したため、11歳の時に母の再婚先に引き取られるまで孤独な日々を過ごす。この幼少時の経験が後年、自伝的小説「冬のかたみに」に結実。
横須賀商在学中から文学に関心を持ち、昭和21年早大文学部国文科聴講生となり、谷崎精二教授主宰の創作研究会が応募した懸賞小説で一等に入選。
22年結婚、日本国籍を取得。薬品会社のサラリーマンや夜間警備員などを務める傍ら小説を執筆し、26年同人誌「文学者」に発表した短編「晩夏」で初めて立原正秋の筆名を用いた。31年本多秋五の知遇を得、その推挽により「近代文学」に「セールスマン津田順一」が掲載され、以後同誌などに作品を発表。芥川賞候補2回、直木賞候補1回を経て、41年「白い罌粟」で第55回直木賞を受賞。
以後は純文学とエンタテインメントを書き分ける流行作家として矢継ぎ早に新作を発表、「情炎」「薪能」「舞いの家」「剣と花」「冬の旅」「花のいのち」「残りの雪」など数多くの作品が映画化、ドラマ化された。この間、39年「近代文学」終刊に伴い新同人誌「犀」が創刊されると世話人に、44年には第7次「早稲田文学」編集長に就任して編集に尽力、岡松和夫、加賀乙彦、高井有一ら多くの小説家を輩出した。
55年亡くなる前に筆名の立原正秋を本名とした。
日本の美と伝統に惹かれ、世阿弥が著した「花伝書」の精神に大きな影響を受け、独自の文学世界を生みだした。能に親しんだ他、美食家、喧嘩の達人としても知られた。他の著書に「剣ケ崎」「漆の花」「鎌倉夫人」「辻が花」「あだし野」「きぬた」「幼年時代」「夢は枯野を」「その年の冬」などの他、「立原正秋全集」(全25巻,角川書店)がある。
~~~~~~
ちなみにわが書棚には代表作「冬のかたみに」と、高井有一による評伝「立原正秋」があった。
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2006.06.26

伊豆ガーデニングクラブでは「竹のトレリス作り講習会」を行った。
講師は富士市の鈴木先生。参加会員は8名であった。
雨に備えて屋根のある作業場所をお借りしておいて正解であった。
まず竹を割る道具の説明。(両刃の鉈)
そして竹の割り方。(「木元、竹うら」木は元から、竹は先端から割る)
竹の組み方。(床に置いてやるとよい)
そして縛り方、を習った。(男結び、2本どり)
組んでしまうと乗用車には積めないので皆でサンプルを1つ作り、後はそれぞれ自宅で作ることとした。

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2006.06.19
たまたま立原正秋に「日本の庭」という著作があることを知った。
立原正秋といえば海外の人だし、彼が日本の庭をどのように見ているのか、ぜひ読みたいと思った。
Amazonで調べたら中古本が288円で何軒かの店から出ている。どこでも同じようだが、中に「黒潮書房」という店があったので、名前の誼みでそこに注文した。
そうしたら「黒潮書房」は高知市なのであった。
ほう。立原正秋の「日本の庭」が高知から送られてくるか。
待ち遠しい。
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2006.06.14
「茶会記の手引き」(淡交社)を読んだ。
古い本かと思ったら今年5月の発行である。
編者として「淡交社編集局」とあるだけで著者紹介などない。どうやら三田富子という人が書いているらしいがどういう人か判らない。
私はこれまで茶会記は、茶席の亭主あるいは招かれた客が、その日のお道具など心覚えにしたことを記録したものだと思っていた。
この本を読んでそうではないことを知った。
茶会記は茶会の企画書なのであった。
亭主はその日の茶会の目的、顔ぶれによって趣向を考え、道具を組んでいく。
まず掛け物(掛軸)、道具、花、花器、菓子などなど・・。大変な企画なのである。
亭主はこうした組み合わせを紙に書いてみる。推敲する。
この会記が茶会運営のもととなり、シナリオ・台本としてお運びや水屋の人々にも配られる。
こうして全員が心を一つにしてお客様を迎える。
優れた茶会記を作るには(=茶会を催すには)、何十回も自分が茶会を営んでみなければならない。
それだけの知識と道具を持たなければならない。生半可なことではない。
かりに道具は持たないにしても、お茶を点てるために会記をつくる。
これがもてなしの原点である。
~~~~~~
茶会記は企画書であるが、あとで静かに読み返し、その茶会のたたずまいを心に思い出し、いつまでもその感激を持ち続けるためのものでもある。
我々は茶会記を読むことで、500年も昔の茶席の有様を髣髴と目に浮かべることが出来る。
~~~~~~
私が茶会記に関心を持ったのは茶の湯の世界に心入れがあるからではない。
茶の湯に茶会記あり、生け花に立花図あり、ならば「お庭巡り」「お庭拝見」に花会記や植栽図があってしかるべきではないかと思ったからである。
日本におけるオープンガーデンの提唱者の1人として、花会記の文化を作りたいとの思いがある。
ただこの書を読んで、道具立てならば或いは借りてでも組むことは出来るが、花は季節に逆らって咲かせることは出来ないと思った。
温室の花を庭に持ってきても花会記には載せられない。
振り返ってこれまで<黒潮丸通信>やわが<ブログ>に、茶会記について記事を4回書いている。
ここにまとめたのでご覧頂きたい。
「茶会記と花会記」
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2006.06.10

人は誰でも悩むのである。
この1週間の私の悩みはグラフィックソフトのことであった。
私は4,5年前からガーデンデザインのオンライン・セミナーを開講しているのだが、このところ全くの開店休業状態になっている。
仕方がない。
その代わりというか、実際の庭の植栽とか造園を頼まれるようになった。評判はいい。
ガーデンデザインを考えるとどうしても図面を描かねばならない。
私はスケッチはまるで駄目なのでパソコンで誤魔化したい。
たまたまGCrew8(ジークルーエイトと読む)というソフトに行き当たり、その熟練者を募ってパートナーとして教材を作ってもらい、ガーデンデザインの作図をするセミナーを開いたのであった。
私自身はセミナーの運営とか、実際の庭の植栽、オープンガーデンの活動に忙しく、(ヨットも琥珀もあるしね)作図を本気でマスターしなかった。
私の人柄がよく出ている。
本来こういう図面はCAD(というソフト)で描くのである。
しかしCADソフトは100万円以上するし(今なら50万?)、CADを使いこなせれば本格的技術者である。
私は最初からCADには近寄らなかった。
GCrew8は5千円である。非常によく出来たドローソフトだと思う。マニュアルなどパソコンソフトのマニュアル中で最高レベルだ。
それでこのソフトでセミナーを開講したのだが、すぐに開発元・販売元の会社がバブル時の不動産投機で潰れてしまった。
ソフト自体はいいものなので次々と扱う会社は出てくるのだが、やはり他人が作ったソフトには身が入らない。
使う側も継子では本気で付き合っていいのかどうか不安になる。
そういうわけでセミナーはぽしゃった。
最近、自分で描かねばならなくなって迷った。
GCrew8のほかに「花子」を持っている。これもドローソフトという触れ込みである。
買ったままあまり触っていない「花子」を引っ張り出して動かしたが、ピンとこない。レイヤーの操作がやり難い。
「PaintShopProX」というのも持っていて写真修正・加工用に使っている。これはペイントソフトだが作図も出来ると言っている。やってみたがやはりペイントであって図面は描けなかった。
この世界の定番は「アドビ・イラストレーター」「アドビ・フォトショップ」である。それぞれ8万円くらいする。
実はこの2本のヤミ版(8千円くらい)を持っている。よっぽど「イラストレーター」にしようかとも思ったが、今更新しいソフトをマスターするのもしんどい。ヤミ版だとサポートも受けられないし、近くに教えてもらう友人もいない。
悩んだ挙句、結局GCrew8に戻った。やはりいいソフトだ。
しかし躓いてしまった。詳細省略。
悩みは尽きない。
わがパートナーがGCrew8で描いたパンジーの絵と、現在私が設計・施工している「T邸植栽図」のGCrew8図(未完)を添付する。

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2006.03.26

この時期、庭仕事はキリがない。
気になっていた庭のテーブルの塗装を行った。
塗装作業はヨットのメンテにつき物で随分やってきたが、つくづく馬力がなくなったと感じる。
剥げた塗装のハツリに草臥れる。テーブルの上面だけはスクレーパーできれいに剥いたが、他はワイヤブラシで擦っただけにした。それで3時間かかった。昨日の作業である。
今日の塗装作業は片づけを含めて2時間。これはまあまあだが、それから後に別の作業をする元気がない。
今年はパーゴラを建てるつもりでいたが果たしてやりきれるかどうか。
幅110cm、長さ240、高さ200の予定である。
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2006.01.08
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私はオンラインのガーデンデザイン・セミナーを開講しています。
最近修了生を中心に、<花を植える>ことを仕事にしていこうという<花植え人>ネットワークを構築中です。
そういうわけで、現在所謂<花仕事>がどんな状況にあるか調べてみました。
《調査対象》はリクルート他の「ネット系」と「ハローワーク系」の各サイトです。
《キーワード》は「花」「フラワー」「植」「庭」などですが、「庭」は「家庭」を取込んでしまうので不適でした。
《調査目的》は1)求人・求職のバランスはどうか?、2)花仕事にはどんな仕事があるか? です。
現在が花の不活性な時期であること、年末年始の特殊な時期であること、これまで求人情報を研究した経験がないこと、定量的でなく定性的に感じを掴んだだけであること、などからあまり確たるものではありませんが、私なりに結論を得たように思います。
1)花仕事への求人は活発であり、求職を上回っているようだ。
2)花仕事は、「花屋・ガーデンセンターの接客、花扱い、ブーケ作りなど付加価値作り、配達」「ブライダル・イベントなどの装花、設営、運搬」「植物リース関連」「花生産現場」が殆どである。<花を植える>求人はない。
1)求人が求職を上回っているとみたのは、Job関連掲示板などで求職者の投稿が早く消去されていること、ハローワークの10月11月頃の求人情報がまだ掲載されていること、などからです。年令制限も思ったほど厳しくなく、必ずしもパートだけでなく正社員募集もそれなりにありました。
大企業はなく殆ど小企業ですから、即戦力となる花屋勤務経験、フラワーアレンジの技術などを求めているのは当然と思いました。新卒者には厳しい世界かもしれません。
ただ花仕事の95%が根のない花、生花、切花であることはショックでした。私にとって花仕事の前提は根のある花ですから。
2)<花を植える>求人がないのは、<花を植える>ことを<ガーデナー><花植え人>に頼む習慣がないことを示します。頼む相手は伝統的に植木屋です。そして私の持論では植木屋は花のことを知りません。修行内容は重機操作と樹木・石の知識です。
だから植木屋からの求人もあるのですが、「花の知識のある人を求む」ことすらないのです。
どうやら<花植え人>ネットワークこちらは新しい職種を創造しなければならないようです。
しかしこの辺りの接客施設の状況からいっても、伊豆ガーデニングクラブのメンバーの状況からいっても、<花植え人>へのニーズは確実にあります。
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2005.12.31

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ああ、驚いた、驚いた。
人生、幾つになっても驚きの種はつきないものだ。
「作庭記」という書物がある。
平安時代に書かれた世界最古の庭造りのテキストと云われる。
内容は寝殿造り庭園の形態と意匠に関するもので、全体の地割りから池・中島・滝・遣水・泉・前栽など細部から施工法に至るまで詳細に述べられている、そうである。特に立石に関しての項目が名高い。秘伝書であり職人が誰でも見ることの出来た書物ではない。
私もガーデンデザインに関心を持ってからその名前を知り、原書はともかくせめて解説書でも見てみたいと探したがこれが無いのであった。
「作庭記」の現代文翻訳書解説書がアマゾンでもブックワンでも見付からない。やっと1986年にNHKブックスで「作庭記の世界」(森蘊)が出ていることを知ったが既に絶版で入手不能であった。
あちこち探して静岡市中央図書館に見つけ、伊東図書館経由で借り出すことが出来た。2003年9月のことである。
しかし内容はあまりに古臭いというか高踏に過ぎ、私には近寄りがたいもので、詳しく読むこともなく早々に返却したのであった。自分たちがやっているガーデニングとは縁のないものと思われた。
この「作庭記」の日本語翻訳が無いというのに英語に翻訳されているのであった。2001年にTuttle Publishingから出ている。武居二郎氏(京都大学-日本庭園学会会長)とMarc Keane氏の共訳であるが実際に武居氏が訳したようだ。ハードカバー260ページで翻訳部分と解説が半々である。立派な本だ。こんな本が英訳されて出版されているのに驚いた。(帰宅後、2005年にさらに独訳が出ていることを知った)
しかし本当に驚いたのはそのことではない。
その本を見付けたのはニュージーランドのある家庭の書棚であった。
実は10年前にNZの女子高校生(当時16才)をAFSの留学生としてわが家に1年間ホームステイさせたことがある。その娘が結婚することになり式に出席するためにオークランドを訪問し、その家の書棚に「Sakuteiki」を見付けたのであった。
そしてその書物には30枚にもおよぶ付箋が付けられ書き込みがしてあったのである。
聞けば彼女の母親のMがオークランド大学の園芸講座を受講し、「Sakuteiki」のレポートを提出したのだという。
付箋や書き込みからみて大変な勉強ぶりである。そして「これは素晴らしい本だ。庭についての考え方が変わった。」と言う。
彼女は研究者やジャーナリストではない。ガーデナーとしても特に受賞歴などない普通の家庭の主婦である。
それがこれだけの勉強をするのである。まったく驚いた。
レポートを見せてくれと頼んだが、恥ずかしがって見せてくれなかった。
それにしても驚いた。
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2005.12.10


「花咲くしずおかアドバイザー」というのは、静岡県が花と緑を増やす運動の一環として地域のリーダーを育成しようとして行っている制度である。
アドバイザーは各地域のグループや自治会などに対して花作りや花壇の設計・管理などのアドバイスを行う。材料費などの実費を除き無料のボランテイアである。
原則として「国や公に認められた団体が行う花や緑に関する資格認定制度の有資格者であり、それぞれの県組織に加入していてその所属する県組織から推薦を受けた方」となっている。
私はハンギングバスケット協会静岡支部の推薦でアドバイーザーになっている。
毎年アドバイザーの技術向上のための講習会が開かれる。
今年は修善寺を題材に、「花と緑でもっと魅力的なまちづくり」を提案することになった。12,1,2月と3回にわたる勉強会である。
第1回が9日に行われ、ガーデンデザイナー徳原真人氏の講演のあと約30名の参加者が4グループに分かれて修善寺の街並みを見て周った。ほかに県や市、地元の自治体職員が10数名参加している。
第1回なのでまず参加者みんなで街並みへの感想、問題点指摘、改善提案などを話し合い、われわれグループが取り上げるテーマを決めた。
テーマは大きく3つに絞られた。1)せっかく古い町並みが素敵なのだから、植える花・飾る花を山野草主体に統一したらどうか。2)きれいな街並みに看板や自販機が目障りである。これらを花と緑でなんとかカバー出来ないか。3)旅館・ホテル・飲食店など営業施設はそれなりに花と緑を使おうとしている。しかし民家や休業中の施設が飾られていないのが多い。街としてもう少し統一出来ないか。
結局1)の「花を勝手ばらばらでなく山野草主体に統一する。例えば春には春の七草、秋には秋の七草など飾り、修善寺に行けば季節の山野草がみられるよ、と言われるようにしたい。」をテーマとすることに決めた。
次回はテーマにそって街をまわり、具体的に「どこに何を植える」「ここはこのように直してもらう」などの検討を行う。
3回目に提案をまとめ、全員への発表を行う。
私個人としては奥の院へ向う径に花の道標べを作る提案をしたかったのだが、今回は修善寺の街並み改善の提案をまとめる方法論の勉強なので、叶わなかった。
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2005.11.23
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近くの熱川のS病院が無料の健康診断をしてくれるというチラシを見たので出かけた。
これまでなら絶対に近寄らないのだが、年令も1つの大台を超えて、妻の言葉に従ったのである。
行って驚いた、驚いた、3つの吃驚びっくりであった。
吃驚1.受付・待合から各科待合、食堂、病棟、すべての場所に黒檀紫檀の中国家具が多過ぎるほど置いてある。てっきり倒産ホテルを買い取って病院にしたのだと思ったら、もう20年前からの病院だそうだ。小児科、歯科がないだけの総合病院である。ヘリコプターまで持っている。
吃驚2.いろいろ問診があって、骨密度や心電図をとってくれて、講演会があって、そして昼食まで出してくれて無料だという。今後もリハビリ用の運動器具は自由に使ってくれ、昼食も無料で出すという。
吃驚3.かねて下脚部に静脈瘤があり、何の気なしに聞いたら要チェックだという。
300人の老人の入院患者をかかえて、経営はずっと順調だったらしい。長期入院患者専門で、地元の外来は受け付けていなかったようだ。
しかし昨今それでは駄目だ、保険医療を取り消すと役所から言われて慌てているのだ。それで無料の診断、無料の昼食で地元民にアピールし、大いに宣伝してくれと言うことなのだ。まるで下にも置かないサービスぶりであった。
しかしタダ飯に騙されない私はじっくりと病院の前庭周辺を観察し、花植栽の改善提案をまとめたのであった。
近く文書にして提出する予定である。
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2005.10.16





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午後から会合があって(実はガーデニング講習会)、朝から出かけて上中里の旧古河庭園に行った。初めての訪問である。
陸奥宗光の邸であったが、陸奥の誰かが古河財閥の養子になり古河の手に移って、大正初期に改築・改造したらしい。
建物・西洋庭園の設計は鹿鳴館・ニコライ堂などを設計した英人で、日本庭園の庭師は小川治兵衛である。
バラで有名だそうで、ちょうど「秋のバラ・フェステイバル」をやっていた。盛りだった。
ボランテイアによる庭園ガイドに付いて巡った。
洋館の周囲および正面が西洋庭園で、正面の庭が整形庭園の沈床庭園になっている。上段がバラで、下段はつつじ、さつきの花壇だ。
このようにくっきりとしたサンクン・ガーデンを、国内では初めて見た。
日本庭園が見学の目的である。
石灯籠や石塔が15もあって、また庭石も渡り橋も、そのどれもが実に大きい。
植治が関西で名を挙げて、大きなスポンサーがついて勇躍東京に乗り込んで、好き放題に石を使ったのかと思ったらそうではないらしい。
大きなのが好きなのは古河で、植治はむしろ辟易していたとガイドの解説であった。
植治といえば水の流れと石組みである。滝があり、池がある。
武蔵野台地の斜面を利用して見事に滝を作っている。何段にも落とし、石を囲って音が響くように作ってある。
しかしここには琵琶湖疏水はない。最初からポンプアップだったという。その大きなポンプは足尾鉱山のポンプを持ってきたという。
滝があり、渓谷があり、池があるが、やはり全体として流れがないのが淋しいところだ。
植治は懸命に石で流れを見せる。渓谷の組み方、枯れ滝のごろた石で見せる流れ、あちこちの石垣。
富士山の溶岩で作った「黒ボク石積み」と、京都の技法によるという「崩れ石積み」が名所になっている。
富士山の溶岩積みは、伊豆では当たり前だ。もっと凄いのがざらにある。
「崩れ石積み」とは乱雑に崩れたように見せながら積む技法だそうだ。建設直後の関東大震災でも崩れなかったと威張っていた。
帰宅して、「うちの石垣にも何か名前を付けるといいな」と言ったら妻は、「小川治兵衛だ崩れだなんだと言うより、これを作らせたら800万円と言う方が判かりが早い。」と言った。
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2005.08.03
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2.ガーデンデザインの勉強
2-3)パソコン作図
ガーデンデザインの通信講座を勉強して痛感したのは自分の絵の下手なことだった。図面を描かなければならないのだがどうにも図面にならない。字が下手なのと同じように絵が下手である。
なんとかパソコンで図面を描こうと思い立った。
パソコンで作図するとはCADを学ぶことであろう。
しかし私は100万円以上もするCADソフトは買えないし、それほど勉強するつもりもない。
なんとかもっと簡便に、安いソフトで出来ないか。
調べて絵を描くにはペイント・ソフトとドロー・ソフトがあることが判った。測量図、計画図など長さのある線分を描くにはドロー・ソフトがいいらしい。
ドロー・ソフトといえばアドビ・イラストレーターが定番である。8万円である。高い。
もっと安いのを探して、幾つかあったが、<G.Crew8>というのを探し出した。約4500円だった。そして入手し、試し始めた。
なかなか良いソフトだった。私にも図面が描けるではないか!
思わず笑みがこぼれた。興奮して、たしかこの通信でも作品をご披露したのではなかったか。
2-4)オンライン・作図講座の開講
こんなに面白い、楽しいことはみんながやりたいだろうと思った。
そこでガーデンの植栽図をパソコンで描くオンライン・セミナーの開講を企画した。
さすがに私が先生になって教材を作るほど厚かましくなれず、<G.Crew8>の練達者の中から協力者を募って教材作成を依頼した。
コンセプト作りは私である。ネットに載せるのも私である。オンライン・セミナーであるから印刷物は一切作らない。
教材の作成費用も成果報酬(獲得受講生1人あたり幾ら)にしたから初期費用は少ない。
こうしてほとんど金をかけずに<PCCガーデンデザイン・セミナー>を開講したのだった。
思い立ったらすぐやる、手軽にやる、お金をかけない、のが私の取り柄であり、弱点である。しかし新規に物事を始めるのは実に楽しい。
結果としてこの講座は儲からなかった。ここしばらくは全然受講申し込みがない。
教材作成者には申し訳ないと思っている。
受講申込みの少ない理由を次のように考えている。
ア)ターゲットの問題
ガーデニング愛好家、庭の平面図を描きたいと思う人は多いが、あえてパソコン作図を学びたいとまで考える人はそれを職業にしたいと考える人のようだ。その人たちにとって安直な4500円ソフトは却ってマイナス要因だった。せめてイラストレータークラスを使った方がよかったのかもしれない。操作を覚え習熟するには安いソフトでも同じ時間が必要なのだから。
イ)G.Crew8の問題
<G.Crew8>にとって不幸なことに、そして私にとって不幸なことに、セミナー開始早々に<G.Crew8>の発売元が倒産した。<G.Crew8>そのものの実力は評価されているらしくすぐに次の発売元が決まったが、その後も二転三転している。これでは信頼を得られない。
ウ)安直さ
印刷物が一切ないというのも安直に過ぎたか。
今でもネットに網は張ってある。そのうちに改善策を考えよう。
2-5)ガーデンデザインその他
・RHSJほか幾つかのガーデンデザイン講習会を受講した。
・一応「日本ガーデンデザイナー協会-NGD」の<ガーデンデザイナー資格>を取得した。
・あちこちのガーデンデザインソフトを入手して研究した。
・日本庭園に関する書物を多数読み漁った。
・たまたま「伊豆高原ドールガーデン」の花の植栽を任され、関係者や来館者から出来栄えを絶賛された。あえて<絶賛>と記す。
3.花の名前を覚える
すべては名前に始まる。
はじめ、訳のわからないカタカナ名前の氾濫に頭に来て、生産者が思いつきで勝手に付けている名前など覚えてやる必要はないなどと強がっていたが、それではいけないのだった。とにかく名前は覚えなければならない。
名前を知らなくてどうして花の形状や性質を覚えられようか。
ヨットの世界でも、艇の上には日常生活ではお目にかからない物がいっぱいある。すべて馴染みのない名前が付いている。その名前を必死で覚える奴だけがヨットに乗り続けることになる。覚えない人間は必ず消えてゆく。
3-1)名札を付ける
庭の植物には必ず名札を付ける。
これには異論のある人も多い。しかしそれは愚論である。名札は付けるべきである。
美術館で作品の脇に<作者、作品名、作成年代>を記した銘盤が貼ってある。実はこれにも異論があり、美学上の1つの論点になっているのだという。「銘盤による知識の先入観念を持たずに純粋に作品を鑑賞すべきである。」という唯美派の主張である。あなたは唯美派ですか?
あまり名前を知らない人には親切に、物忘れし易い年寄りにも親切に、とにかく名札をつけよう。
知らない、忘れた対策だけでなく、地下越冬する宿根草は名札がないとどこに何があったか判らなくなってしまう。
3-2)植物台帳
植えた植物の台帳を作成した。
けっして栽培記録にしてはいけない。一品物を育てる栽培家、育苗家は知らず、ガーデニング愛好家は簡略な台帳だけを付けるべきである。庭の何百種類もの栽培記録など付けられるものではない。NHK趣味の園芸で出している「園芸日誌」の「植物住民票」でも詳しすぎる。
<名前、植付け日、場所>が必要項目である。他に<購入した理由>を書いておくとあとから意外に楽しい。
なぜ必要か。
名札は風に飛ぶ。
台帳を見ていると、苗を買ったり貰ったりした時の気持ちが思い出される。
3-3)結果
2002年の春、庭に咲く花を記録した。大変エネルギーを要する仕事で、とても毎年はやれない。
3月20日から5月20日の60日間に170種の花が開いた。毎日3種の新しい花が開き、そして消えてゆく勘定である。
この170種を記録する時、どうしても名前の判らない花が2種あった。
2種以外の花の名前を記録出来たことが私の誇りである。
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2005.08.01
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2.ガーデンデザインの勉強
2-1)英国通信講座の受講
ハンギングバスケットの受験の翌2000年、ガーデンデザインの通信講座を受講した。
もともと私は栽培家ではない。珍しい花を集めたり美しく咲かせたりすることに関心は薄い。庭作り、ガーデンデザインや、オープンガーデンの組織運営が私の興味の対象である。
どこでもよかったが英国のKLCという講座に300ポンド送金して教材一式を送ってもらった。
ふむふむ。
270ページの教材を50日かかって通読した。
当然ながら課題提出がある。これがどうも気乗りがせず、また荷が重かった。
例えば<春の花壇に植える1年草のリスト15種を作成せよ。>とある。日本の花を15種選んで、学名を調べて送るのだが、英国とは環境も違うし流通品種も異なる。向こうからのコメントは役に立つものではなかった。
庭の平面図など、英語で作図するのはいろんな面で難しかった。
最大の課題は<尊敬するガーデンデザイナーを1人選んで、リポートを作成せよ。>というテーマだった。これは講座を通じての課題で卒業論文みたいなものであった。向こうは<ル・ノートル>とか<ランスロット・ブラウン><ガートルード・ジーキル>などを想定したのだろうが、私は<小堀遠州>を選んだ。日本のガーデンデザイナーとして遠州の名前しか知らなかったからである。
それからが大変だった。遠州のことなんて何も知らない。急遽小堀遠州に関する本を数冊集めて読んだ。さてリポートになるのか。
私は大学時代の試験リポート提出も、負けた者が全員のリポートを書く約束で麻雀をやり必ず勝つ(負けたら書けないから)という生活をしてきた人間である。学生時代以来リポートとは縁がない。
まして英語で書くなんてとんでもない話で、早々と諦めた。
こうして英国のガーデンデザイン講座は通読しただけでそのままになった。
2-2)伊豆ガーデニングクラブでの輪読
ある日、とんでもない妙策を思いついた。みんなで読んだら否応なしに勉強するぞ。
こうして伊豆ガーデニングクラブの会員に呼びかけて「ガーデンデザイン勉強会」が発足した。メンバーは8人で、うち4人が翻訳も担当する。
勉強会当日は翻訳当番が訳してきた部分を皆で読みあい、課題を議論する。
皆さんもよくお判りの通り、英文を読み流すのと翻訳して日本語に定着させるのとでは雲泥の違いがある。翻訳当番は大変な努力をして勉強会に臨むのだった。
全体を4人で訳したから1人70ページ平均となる。毎月1回、2001年1月から9月まで、1回の休みもなく続けられ、無事に全体を読了した。途中ではめぼしい課題の作成、実地測量演習・作図なども行った。
10月、秋祭りの当日、伊東大和館で行った打ち上げの慰労会が忘れられない。
参加したメンバーに対して心からの尊敬と感謝の気持ちを捧げる。そしてこんな企画を成立させた伊豆ガーデニングクラブにも深い尊敬の念を覚えるのである。

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2005.07.31

∞∞∞∞∞∞∞
私は仕事としては石油販売の営業、趣味としては麻雀やダンスやラグビーやヨットで現役時代を遊び暮らした人間である。どういう修行をして花咲爺さんになったのか、大方のご疑問にお答えしよう。
3つの大きな修行があったと思う。
1.ハンギングバスケットの勉強
2.ガーデンデザインの勉強
3.花の名前を覚えたこと
1.ハンギングバスケットの勉強
1-1)カナダ体験
97年夏、アラスカからカナダまでのヨットによるクルージングに参加した。これはこれでわが生涯の大イベントだったのだが、そのカナダ到着港ヴィクトリアでのフラワー&ガーデン体験が現在の私に大きな影響を与えている。
長途航海の疲れを癒すべくヴィクトリアとバンクーバーでゆっくりと休んだ。そこでたまたま個人の庭めぐりツアーに参加し、ブッチャート・ガーデンを見学し、街中にぶら下がるハンギングバスケットに目を奪われた。後から知れば世界一のハンギングバスケットの都市であった。
見ながら、歩きながら、是非これを伊豆で実現したいと思った。伊豆の気候なら1年中ハンギングをぶら下げられるのではないかと思った。伊東の駅、伊東の駅前通りに提げて伊豆をハンギングバスケットの街にしたいと思った。
そして伊東に帰ったのだが、さてハンギングバスケットを作るのに何をどうしたらいいのか何の知識もなく、伊東でハンギングバスケットを見ることもなく、夢はそのままになっていた。
1-2)伊豆ガーデニングクラブの発足
それより先、97年春ころより伊豆でオープンガーデンを始めたいと仲間作りの勧誘を始めていた。
かねての計画通りリタイア後伊東に定住したのだが、妻の様子がおかしい。要するに話し相手がいないのである。2日も3日も誰とも言葉を交わさない生活が続いたりしていた。これはまずいと思った。
それで妻の仲間作りのために英国やNZ、カナダで見たオープンガーデンを伊豆でやろうと志したのであった。しかし反応ははかばかしくなかった。個人の城として囲った庭を一般に公開するとはどういうことか。どんな人が入ってきて何をされるか判らない。不安ばかりが先に立って最初賛同者は少なかった。
ともあれ一度声を挙げて集まってみようと伊豆新聞に呼掛けを出してもらったところ、「オープンガーデン」ではなく「ガーデニング」と出てしまった。そしていきなり50人も集まってしまい、その場で「伊豆ガーデニングクラブ」が発足したのであった。50人以上ものクラブの運営は妻の手に余る。結局私が事務局を務めることとなった。98年の2月である。
事務局長としてまとめ役になったはいいが、当時の私にはまるきりガーデニングの経験はなかった。
そもそも趣味の集まりでリーダーとなるのはその道の先達である。俳句でも踊りでも絵でも、なんでもそうである。そうであってこそ人がついてくる。経験がなく何にも知らないではクラブをまとめていくことは出来ない。
98年の10月からガーデニングクラブの有志でオープンガーデンを立ち上げたが、その運びに強引さがあったりして軋轢を生じ、脱退騒ぎに発展した。分派の勧誘攻勢は激しく、当初会員の3分の1が脱会する事件となった。
誰もどういうものか判っていないオープンガーデンを日本で最初に始めるにあたり( たまたま岩手と仙台が同時期に発足したことを後で知ったが )、それほどお互いの思いの違い、疑心、不安があったのである。
1-3)ハンギングバスケット&グリーンアドバイザー講習会受講
都会からやってきた人間が、何の経験もないのにいきなり大勢集めてクラブを作って主宰する。なんだこ奴は。
伊豆に住んで長い人、ガーデニング経験の長い人にとってさぞ鼻につく、むかつく行動だっただろう。造反もやむを得ないことであったと今にして思う。私にあったのは<オープンガーデン>の掛け声だけだった。
さすがに向こう見ずの私も、何か技術や知識を身につけないとやっていけないと思わされた。そこで気にかかっていたハンギングバスケットについて調べてみると、<ハンギングバスケット・マスター>という資格があることが判った。東京、名古屋、大阪では講習会があり、10回くらいの講習で25万円である。交通費を考えたら相当の額になる。
どうしたものかと考えていたら、清水市の花卉市場で講習会があるとの情報を得た。月2回、19時から2時間の講習が6ヶ月である。伊豆高原から清水市まで峠を越えて110キロの道のりである。
この12回を1度も休まずに通ったのであった。
大変勉強になった。なにしろベースが何もないのだから、すべて初めて教わることばかりであった。特に植物の生理についての勉強は今の私の植栽技術のベースになっている。貴重な講習であった。
この講習はグリーン・アドバイザー(ハンギングバスケット・マスターより幅広い知識を求められる上位?の資格)受験のための講習会で、講師のレベルも生徒のレベルも非常に高く、30人がほとんど休まずに通った。
一方試験には知識だけでなく実技もあるので、やはり清水市のハンギングバスケット・マスターのところに通って実技に励んだ。これまたまったくのビギナーからのスタートでハードな体験だったが得るところ多かった。
こうして99年の秋に受験し、ハンギングバスケット・マスターの資格を取得した。伊豆半島で第1号の資格者であった。

1-4)ハンギングバスケットに対する所感
こうしてハンギングバスケット・マスターとなり、近くの園芸センターとか花の会から講習会の講師を依頼されたりするようになった。しかし最近ハンギングバスケットに打ち込めない感じを持ち始めている。
カナダで憧れ、伊東中に1年中ハンギング・ボールをぶら下げたいと始めたハンギングバスケットだったが、いざ実際にやってみるといろいろと限界が判ってきた。
ア.最大の問題は夏の暑さである。伊豆にはカナダの冬の寒さはないが夏の暑さがある。植物はこれに耐え得ない。ましてバスケットに植え込むために土の量は少ない。水の補給も難しい。もちろん冬の花も難しく(でも夏より楽)、年間通しての開花維持は予想以上に難問だった。
イ.吊るす場所がない。ハンギングバスケットは本来ボール状に咲かせた花を吊るすものだが、吊るには支柱か壁からアームを出したフックが必要である。安全な支柱を立てるには相当のコストがかかる。壁からアームを出す場合は相当の壁強度がないともたない。モルタル壁などでは吊れないのである。
このためわが国ではボールではなく半球にして壁に接して吊るすウオール・ハンギングが主流になっている。要求強度は半分以下になる。しかし私の意見ではこれは窓際に鉢を飾るのと本質的に変わりない。私はウオール・ハンギングは教えない。
普通の民家でボール・ハンギングを吊るす場所はほとんど見当たらない。
アーケード商店街などでボール・ハンギングを吊るすとしても、日照を考えると車道側になる。新たな支柱も、アーケードからの支点も、自動潅水装置も、殆ど設置不可能である。
吊るした花に水をやれば、どうしても水が垂れる。公共の場ではこれも難しい問題だ。
ガーデニングショーの会場などを除き、JR川口駅の横の公園のボール・ハンギングが私の知る限り唯一の実地成功例である。
ウ.さいわい伊豆は土地の余裕がある。わざわざ窮屈にバスケットに植え込まなくても地植え出来るのである。伊豆ではハンギングバスケットはあまり流行らない。
ハンギングバスケットに打ち込めなくなった私であるが、この勉強が私にとって強烈な花修行になったことは確かであり、ハンギングバスケット・マスターの資格制度に存在意義を認め、感謝している。
試験会場風景と審査のための出展作品の写真を添付する。作品は3週間後の審査に合わせて開花するよう制作する。
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2004.10.29

27日、伊東市観光会館で「ガーデンデザインの方法」と題して講習会を行いました。
伊東市振興公社の主催で、私への講師依頼状は公社理事長の伊東市長名でした。フフン
これまでハンギングバスケットとかオープンガーデンの講習はやりましたが、ガーデンデザインについては初めてだったのでいささか緊張し、相当準備をしました。
結果は妻に言わせると「難しすぎた。」です。私が準備し覚えたのは、例えば平等院や金閣寺や修学院離宮・栗林公園とアルハンブラ宮殿・ヴェルサイユ宮殿・ブレナムパレス・シシングハーストなどの建立年や面積、デザイナーの名前でした。花壇の形状を20も数えてみせました。
聴衆はもっと簡単な話を希望していたようでした。
プロジェクターを使っての話は資料の取り出しは便利なのですが、聴衆に背中を向けて話すことになる欠点があります。
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2004.07.31

月に1度、RHSJ(王立園芸協会日本支部)のガーデンデザイン講習会に通っている。
先日の講義で宿題を出された。
7×9メートルの庭のデザインを描いて提出せよとのこと。
抛っておいたのだがいよいよ締切り間近になって、今日6時間かかって制作した。
急いでやったやっつけ仕事で、あちこちボロボロである。最初から書き直せばもう少しはましになるだろうが、時間がない。
写真はG.Crew8というドローソフトで描いてJpgに変換したものである。
絵も図面も自分ではまったく描けない。パソコン作図でなんとか格好はつく。いい時代だ。(?)
自分だけがそう思っているのかな。
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