小さなナイフ
参加する船がいかに数多くとも勝者はただ一人という、
彼を愛する者たちにできるのはただ、
死者たちの勇気ある者としての栄光と尊厳を、
我々はなにゆえに彼らを愛したかを、
熱海短歌教室というのに入会した。昨日、2回目の出席をした。
約30名の爺婆が市役所の会議室に集まる。うち爺は3名である。
各自1首を提出した詠草がA4紙に印刷されている。
「お願いします」と言って順番に自分の歌を読み上げる。
「先生」が講評する。
「先生」(50年配の男性)は歌集なども出している本物の歌人らしい。
講評は文語口語の混在や動詞形容詞助詞の変化形の誤用を厳しく注意する。
より良い表現の助言がある。
良いとか悪いの印象批評は殆ど無い。
全員の歌が終わったらそれで終わりでお開きである。
会員同士の意見交換、親睦などの時間は無い。
これまで歌会なるものに出たことがないので、これで終わりではなんとなく締まりがない感じである。
今月の私の出詠は、
< やすみしし平成鴛鴦睦まじく涙箱訪ねる巡礼なしし > であった。
涙箱は悲しみの場所の意で使った。赤坂真理の「箱の中の天皇」が意識にあった。
講評では「鴛鴦と睦まじくは語意が重複して勿体ない」と言われたが、といって良い言葉はすぐには思い付かない。
新元号の典拠について申し上げます。「令和」は、万葉集の梅の花の歌32首の序文にある「初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」から引用したものであります。
白川静博士の「字統」は「令」について次のように書く。
礼冠を着け、跪いて神意を聞く人の形。(中略)神意に従うことから令善の義となり令名・令聞のように用いる。また命令の意より官長の名や使役の義となり、のち敬称として令閨・令嗣のように用いる。
万葉集に使われているからといって、「令」に梅の香りがするわけではない。
オランダの死因3〜4%は安楽死。「死に方」を考える
本書は欧米で活躍するジャーナリスト、
宮下洋一氏が自殺幇助団体の代表であるスイスの女性医師と出会い 、 欧米の安楽死事情を取材しながら死をめぐる思索を深めていくノン フィクションだ。 実際に自殺幇助の現場に立ち会った著者は、
ヨーロッパ人の強い自我に衝撃を受ける。 安楽死はオランダの死因の三~四パーセントだと言われても、 日本人である著者はその数に驚きを隠せない。 取材を進めるうちに著者は、病による苦しみを抱え、 安楽死を望み、 自ら死んで逝く人々のまなざしのなかに包み込まれていく。 荘厳な個の最期に同情の入り込む余地はなく、 彼岸へと去っていく者によって此岸に立つ不安を覚える。 スイス、
オランダと当事者たちとの対話を重ねるなかで著者は次第に「 安楽死を選べる」ことによって「死を選択しない自由」 が生まれることを知る。 多様な死に方のオプションがあって初めて人は「生きること」 を自らの意思で再選択できるのでは、と。 思えば命は自然からのギフトだ。あたりまえに享受してきた「生」
に限りがあると知るとき、人はもう一度能動的に、 命をつかみとらねばならず、その瞬間から新たに「生きる」 という行為が始まるのかもしれない。本書は「安楽死を望む人々」 を取材しながらも、誰もがそれぞれの「死に方」をもっている、 という人間存在の多様性へと啓かれていく。死に方とは「生き方」 なのだった。 欧米を回った著者は日本に戻り、
安楽死に関わった日本の医師たちのその後を追う。 西洋から東洋へ。ふいに文章のトーンが変わり、 読者は曖昧な薄暗い世界へ引き込まれていく。 終末期における医療現場の混乱、対話の不在が露呈する死の臨床。 救いはないのか。 しかし、著者の優れた共感力は、
薄皮を剥ぐように医師の内面へと迫る。 次第に日本的な死生観が医師の語りを通して顕現してくる。 その思いは著者にではなく、 苦境を支えてくれた地域社会に向けて独白のように語られるのだっ た。著者は、 医師たちのモノローグの中に彼らと自分のつながりを敏感に感じ取 っていく。 西洋をていねいに取材してきた著者の結論は、
実に予想外であった。終章に著者は記す。 西洋的文化の中で見失っていた「生かされて、生きる」 感覚を日本での取材を通して発見した、と。これは、 西洋を体験した著者だからこそ探り当てた東洋の真珠であると思う 。著者の目を通して、 読者もまた西洋と東洋の死生観を俯瞰することになる。
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