2019.04.21

囲碁クラブ

わが新たな居所「中銀ライフケア水口」には約250の居室があるが、空室や別荘的利用者も多く単身者もありで、常住者は200~220人と思われる。
20以上の同好会があり、私は囲碁クラブに入った。
専用の一室に十面程度の碁盤があり、午前中に行けば6~7人がたむろしている。
このほど参加希望者15名の総当たりの大会があり、私は2段格で出場し11勝3敗で優勝した。
次回からは晴れて3段である。
<今しばし生きなむとする茅屋に烏鷺闘わす朋のある幸>  黒潮丸
畏くも皇后美智子の今年の歌会始の御製を本歌とする。
<今しばし生きなむと思う寂光に園の薔薇のみな美しく>  皇后美智子
~~~~~~~~~~~~
私の碁歴
この20年、碁石に触ったことがなかった。
手ほどきをうけたのは父親からだが、その後習ったことも碁会所に通ったこともない。
会社での昼休みでは時間が足りないので、ゴルフの待ち時間にやったりした。
ここに来てから熱心に囲碁本を読んでいる。
「基本のヨセ」「定石原典・星 三々」「ツケ ハネ ノビ」・・・

囲碁クラブ

わが新たな居所「中銀ライフケア水口」には約250の居室があるが、空室や別荘的利用者も多く単身者もありで、常住者は200~220人と思われる。
20以上の同好会があり、私は囲碁クラブに入った。
専用の一室に十面程度の碁盤があり、午前中に行けば6~7人がたむろしている。
このほど参加希望者15名の総当たりの大会があり、私は2段格で出場し11勝3敗で優勝した。
次回からは晴れて3段である。
<今しばし生きなむとする茅屋に烏鷺闘わす朋のある幸>  黒潮丸
畏くも皇后美智子の今年の歌会始の御製を本歌とする。
<今しばし生きなむと思う寂光に園の薔薇のみな美しく>  皇后美智子
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私の碁歴
この20年、碁石に触ったことがなかった。
手ほどきをうけたのは父親からだが、その後習ったことも碁会所に通ったこともない。
会社での昼休みでは時間が足りないので、ゴルフの待ち時間にやったりした。
ここに来てから熱心に囲碁本を読んでいる。
「基本のヨセ」「定石原典・星 三々」「ツケ ハネ ノビ」・・・

2019.04.01

令によって

令和」の出典について菅官房長官は次のように述べた。

新元号の典拠について申し上げます。「令和」は、万葉集の梅の花の歌32首の序文にある「初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」から引用したものであります​。

白川静​​博士の「字統」は「令」について​次のように書く​。

礼冠を着け、跪いて神意を聞く人の形。
(中略)神意に従うことから令善の義となり令名・令聞のように用いる。また命令の意より官長の名や使役の義となり、のち敬称として令閨・令嗣のように用いる。​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
 

​万葉集に使われているからといって​、「令」に梅の香りがするわけではない。

 

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2019.02.27

「箱の中の天皇」感想

赤坂真理「箱の中の天皇」を読んだ。
 
今上天皇明仁が<象徴天皇>の意味をどれほど考えつめ、どのように生きたかをとことん考察した小説である。
赤坂真理は<天皇の象徴性>についてあまりに深く考えたあまり、自から明仁に没入してしまった。
 
もし明仁がこの小説を読むとすれば、赤坂を自からの藩屏と感じであろう。
 
天皇制に居心地の悪さを思う  黒潮丸

2019.02.10

バンクシーの鼠

東京都の小池知事が大事にしまいこんだストリートアートと称する鼠の絵を覚えておられるだろう。
作者は<バンクシー>という画家である。
 
 
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アッハッハッ
これは私が描いた鼠である。
 
 
~~~~~~~~~~~~
 
実は eBay で933円で売っていた。
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これを買ってコピーして切り取って拡大してなぞったのである。
東京に行ってどこかに描こうか。
 
ストリートアーチスト 黒潮丸
 

2019.02.01

銅の髪

「プレバト」というTV番組がある。夏井いつきという俳人が主宰する番組である。ご覧になっている方も多いだろう。
彼女は松山の住人で俳句甲子園を発案し盛り立てた張本人である。
 
昨夜のプレバトでこんな句が飛び出した。
<着ぶくれて慰安婦像の銅の髪>  東国原英夫
 
参ったね。
慰安婦問題に関して日本人の気持ちをこれほど的確に現した言葉は無かったのではないか。
東国原 畏るべし。
 
~~~~~~~~~~~~
何年か前、やはり東国原にこの句があった。
<向日葵や畜魂二十九万頭>  東国原英夫
 
宮崎県知事として口蹄疫で29万頭もの動物を殺処分したことを思っての句である。
この時夏井いつきが「句碑を建てなさい」と言った。
 

2019.01.25

ある「会葬御礼」

「履きなれたデッキシューズ」などのヨット随筆で知られる田邊英蔵氏が1月22日に亡くなられたそうだ。93才。
190124-tanabeeizo-onrei.PNG
どなたか告別式に出られた方がその「会葬御礼」をFacebookにアップして下さった。
喪主の田邊麻里子氏とは随筆中にしょっちゅう出てきた8頭身美人の副長氏であろう。
素敵な会葬御礼だ。
われらかくありたし。
実は22日に先立つ2日前、1月20日に私は熱海後楽園ホテルに行ったのであった。
熱海マリーナを見下ろすカフェで海の仕事を志す某青年と語り合ったのであった。
田邊氏は熱海後楽園ホテルのオーナーであった。
 
Facebookには現蒼龍の写真も掲載された。
和歌山に在り、高齢のオーナーが新しいオーナーを求めているとのことだ。
 
190124tanabeeizosouryuuwakayama
 

2019.01.18

インフル禁足

11日に39度超の高熱が出た。クリニックに行ったがインフルは検出されず、抗生物質で熱は治まった。
15日に別のクリニックに妻の付添で行って、ついでに自分も診てもらったらインフルA型が検出された。
帰館してナースに報告したらたちまち3日間18日までの妻共々の禁足を命じられた。食堂にも行けない、新聞を取りに行くことも出来ない。食事は3度3度部屋まで配達してくれる。
熱は無く、飲む薬も無く、無聊をかこったが高齢者の集団生活ではやむを得ない措置であろう。
やっと今日一杯で解放される。
 
~~~~~~~~~~~~
禁足の間、たまたま買ってあった「皇后考」(原武史 講談社 2015)を読んだ。
650ページもある大冊でとても読める本ではないと思っていたのだが、手に取って読み始めたら面白くて面白くてまさに「一読巻を置く能わず」であった。
190117kogoukou
何が面白いかというと知らないことが書いてあったからである。
明治天皇には5男10女があったが皇后美子には子が無かったとか、大正天皇の行状とか、皇后節子が長男裕仁よりも次男雍仁を可愛がって元老たちが心配したとか、そんな話である。
初め2割くらいは面白がっていたが、だんだん馬鹿らしくなってきて後半はすっ飛ばした。ババジジの話しはもういい。
 
改元も元号もどうでもよい。服飾のようなものである。
 

2019.01.09

「安楽死を遂げるまで」

重いテーマの本であり、間に何冊か入ったりしてやっと今日「安楽死を遂げるまで」(宮下洋一 小学館 初刊2017/12)を読み上げた。
 
1976年生まれでスペインに生活するフリージャーナリストの著者が、スイス、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、日本の世界6ヶ国の医師、患者、家族を訪ね、安楽死の「瞬間」にまで立ち会ったルポルタージュである。
非常に真面目で厳粛な記録であり決してジャーナリステイックな筆致ではないが、トータルとしてやはりジャーナリストによる作品である。
 
私にはとても348ページにわたる内容を紹介する力は無いのでAmazonの紹介文をそのまま引用しよう。
 
~~~~~~~~~~~~

オランダの死因3〜4%は安楽死。「死に方」を考える

本書は欧米で活躍するジャーナリスト、宮下洋一氏が自殺幇助団体の代表であるスイスの女性医師と出会い欧米の安楽死事情を取材しながら死をめぐる思索を深めていくノンフィクションだ。

実際に自殺幇助の現場に立ち会った著者は、ヨーロッパ人の強い自我に衝撃を受ける。安楽死はオランダの死因の三~四パーセントだと言われても、日本人である著者はその数に驚きを隠せない。取材を進めるうちに著者は、病による苦しみを抱え、安楽死を望み、自ら死んで逝く人々のまなざしのなかに包み込まれていく。荘厳な個の最期に同情の入り込む余地はなく、彼岸へと去っていく者によって此岸に立つ不安を覚える。

スイス、オランダと当事者たちとの対話を重ねるなかで著者は次第に「安楽死を選べる」ことによって「死を選択しない自由」が生まれることを知る。多様な死に方のオプションがあって初めて人は「生きること」を自らの意思で再選択できるのでは、と。

思えば命は自然からのギフトだ。あたりまえに享受してきた「生」に限りがあると知るとき、人はもう一度能動的に、命をつかみとらねばならず、その瞬間から新たに「生きる」という行為が始まるのかもしれない。本書は「安楽死を望む人々」を取材しながらも、誰もがそれぞれの「死に方」をもっている、という人間存在の多様性へと啓かれていく。死に方とは「生き方」なのだった。

欧米を回った著者は日本に戻り、安楽死に関わった日本の医師たちのその後を追う。西洋から東洋へ。ふいに文章のトーンが変わり、読者は曖昧な薄暗い世界へ引き込まれていく。終末期における医療現場の混乱、対話の不在が露呈する死の臨床。救いはないのか。

しかし、著者の優れた共感力は、薄皮を剥ぐように医師の内面へと迫る。次第に日本的な死生観が医師の語りを通して顕現してくる。その思いは著者にではなく、苦境を支えてくれた地域社会に向けて独白のように語られるのだった。著者は、医師たちのモノローグの中に彼らと自分のつながりを敏感に感じ取っていく。

西洋をていねいに取材してきた著者の結論は、実に予想外であった。終章に著者は記す。西洋的文化の中で見失っていた「生かされて、生きる」感覚を日本での取材を通して発見した、と。これは、西洋を体験した著者だからこそ探り当てた東洋の真珠であると思う。著者の目を通して、読者もまた西洋と東洋の死生観を俯瞰することになる。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

2019.01.08

日産自動車

ゴーンさんはどうなることやら。
 
今日「日産自動車極秘ファイル2300枚」(川勝宣昭 プレジデント社)を読んだ。
30年前、労組委員長として日産に君臨した塩路一郎に対して立ち上がった著者ら7人の戦争記録である。
かねて関心のあった歴史だから面白く読んだ。
ただ国鉄改革3人組の葛西、井手、松田に比し、日産7人組は誰も偉くならなかった。
川克、石原、久米、辻、塙と続いた経営陣は7人組に目を掛けることなく、結局日産を駄目にし、ゴーンの登場に至る。
そしてまたゴーンを引き倒す。
 
昔日産に片山豊というエースが居た。
東京モーターショーを立上げ、北米日産の社長としてダットサンを売りまくり、「ファレディーZ]を世界一のスポーツカーに育てた。
日産の経営陣は片山の能力を恐れ、遂に本社に戻さなかった。
 
~~~~~~~~~~~~
日産にマリン部門があった。
ボートを作り、マリーナを運営した。
佐島マリーナは森繁久弥が個人で作り、日産が引き継いだ。
今福山が、桑田が、YOSHIKIが個人でマリーナを作れるだろうか。
私は森繁さんの縁で東京湾マリーナに艇を置くことが出来た。
 
三河みとマリーナの近くに日産マリーナ東海があった。
新門司マリーナとマリーナ河芸は三河みとマリーナと同時期の建設である。
 
~~~~~~~~~~~~
私は日産には随分たくさんの油を買ってもらったが、トヨタは難攻不落でどうしても出光の油を売り込むことが出来なかった。
 
~~~~~~~~~~~~
こうして日産にはご縁があるのだが、なんとも冴えない会社である。
 

2019.01.05

新生活レビュー

中銀ライフケア水口での生活をレビューしてみよう。
 
環境については先に書いたが眺望、日照、気温、騒音等、​予想以上に快適である。
どういうわけかとても暖かく、私の部屋などエアコン無しで明け方21-22度である。
 
室内、ユーティリティ
殆ど言うことは無い。
食事は原則食堂だからキッチンの狭さは気にならない。
全体のスペース78㎡はマンション暮しを決めた時から覚悟したことだから不満は無い。
先住者が余程余裕のあった人らしく、すべてに良い。
花と小鳥が身近にいないのはつくづく淋しい。
風呂は自室で入るのと大浴場に行くのと半々である。
ゴミ出しなど不便は無い。
 
食事
上々である。
毎食、2種類からチョイス出来る。味に不満はなく、量は多すぎるくらいだ。1食減らしている人も多い。
妻もご飯以外はほぼ完食で、9月10月頃を思うと様変わりだ。よかった。
3食全部食べて2人で月8万4千円で、食べない分は返金される。
自宅の時より安上りだ。
 
館内
我が部屋はフロント(7階)の真下の4階にあり、エレベーターは部屋の直近にある。
フロントにも食堂(6階)にも階段を歩いて行ける。
水口館の部屋によっては長い距離を歩き、エレベーターを幾つも乗り継いで食堂に来る人も居り羨まれている。
期せずしてベストの部屋を選んだようだ。
フロントにはいつも人が居て売店、喫茶もある。
 
交通
何よりもマイカーを手放したことが大きな変化である。まだ慣れない。淋しい。
来宮駅、ショッピングセンター、熱海駅までの自家用バスはやはり少なく不便である。最近路線バスの利用を覚えた。
ついタクシーに頼るが熱海市内は狭く、どこに乗っても700~1400円である。伊豆高原ではちょっと病院に行くにも3千円、5千円であった。
それより来宮駅でもショップでも歩く人は歩いているらしい。下りだと10―15分だそうだ。見習おう。
 
活動
私はネットで<小原流 熱海>で見付けた教室に入門した。教場は起雲閣である。素晴らしい。
水口館で囲碁クラブに入った。2段格で申告したが初戦1級の人に負けた。
問題は妻である。何よりも欲しかった水泳プールが無い。マリンスパ熱海という大きな施設があるが、ここから交通不便で大衆子供向けで雰囲気が悪い。
これまで通っていたホテル内のプール(サザンクロス、ヴィラージュ・・・)が熱海には無い。30分以上ノンストップで泳ぐ妻がプールが無くて泣いている。
卓球クラブを覗いたが全く肌が合わず敬遠した。やり方が気に入らないそうだ。
まだ何もしていない。良くないことだ。
 
総括
10月になって切羽詰まって探した施設だが、結果として非常に良い選択だったようだ。
運営の姿勢も内容もいいし、場所が良かった。
入居者によく聞かれるが価格も割安だったらしい。
 
190103kinomiyajinja2
 

2018.12.31

今年の辞世

以前、辞世は毎年作るべきと書いたことがある。
 
毎年とはいかないが今年の辞世を作った。
<舟を捨て庭捨てて次何捨てる> 2018/12 黒潮丸
 
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<波の背を割きて進みしわが帆舟(ほぶね)>  2016/7
​<年々に恥かくことの多くしていよよ近付く彼岸なりけり> 2012​/12
 
 
Voyagetonextage
 

2018.12.28

熱海図書館

熱海図書館に行ってカードを作ってもらった。
来宮駅から歩ける場所にある。
 
伊東図書館に似て古くて狭い図書館だが、それでも図書館は図書館だ。今後大いに利用させてもらおう。
似ているようで伊東とは微妙に違う点もある。
・開架展示の書籍が多い  各作家の展示作品が伊東の倍くらいある。書庫が小さいのか?
・本が傷んでいないと思った  利用者が少ない?
・学生の席が別の階にある
 
初めて借りたのは早坂暁「花へんろ風信帖」である。
実は先信の武田陽信と勅使河原霞のスキャンダルは早坂暁の「華日記」で知ったことだった。
シドニーホバートレースについてはNORCの記録や古い舵誌に当たったが、華道界のことは全面的に早坂の記述に頼った。
それで早坂の随筆集に関心を持ったのである。
 
しかし「風信帖」の名は頂けない。
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「風信帖」  空海
 

2018.12.24

船出

・衣類  ゴミ袋に入れてどんどん廃棄した。
・布団  孫たちが冬に来てもいいだけ揃えてあったが全部お払い屋に渡した
・食器  お払い屋に処分してもらった。
・書籍  4分の1を残し、半分を中古書店に送り、4分の1を廃棄した。
・家具  3分の1を運び、3分の1を残し、3分の1を廃棄した。
 
アルバムは写真に撮る予定であったが戦争が始まるとその余裕が無くなり、15%程度しか撮れなかった。
その中に下の写真があった。
960330-mmmarina-farewell3-1.jpg
 
960330-mmmarina-farewell2-1.jpg
 
これは出光を定年退社するにあたり、我が手作りのマリーナからマイボートに乗って船出するところである。
前途に希望があった。
この当時はすぐに年金を満額もらえたこともあり、一刻も早く会社を離れたかったものだ。
 
いま熱海に来てからの写真を探したがこれしか無い。
181213-nakaginminaguchi-front.PNG
 
これでは駄目だ。正月に孫たちが来るからもっとちゃんとした写真を撮ってもらおう
 
~~~~~~~~~~~~
取りあえず予定している活動
1.小原流生け花
  教場が起雲閣というのが素晴らしい。
2.site「終活曼荼羅」の運営
  終活ばやりでいろんな終活項目が唱えられている。それを曼陀羅図にしてサイトを作りたい。
 
hyoushi.jpg
このような終活項目が20余りありそれだけの仏様が並ぶ。
まだまだアイデア段階でコンテンツはこれからだが、その初っ端のページ「曼陀羅図」がうまく作れない。
HTMLは表のサイズを固定してくれないのだ。WordPressにいいテンプレートがあるが、WordPressに何度挑戦してもうまくいかない。
果たして完成させられるかどうか自信が無いが、とにかくやってみよう。
 
ともあれ新生活の船出である。

2018.12.15

武田陽信と小林正和

昨夜名古屋のFさんという人から電話があった。いきなり、
「武田さんのお墓に詣ってきました」と言う。何のことやら?
 
武田陽信という男がいた。
この男、勅使河原蒼風が草月流の跡目と定めた愛娘勅使河原霞を攫った男である。
霞24才、その美貌と立場から当時天下一の女性であった。対する武田は34才、妻と2人の子供がいる商社マンであった。霞はこの男にのぼせ、「私は草月を捨てます」と言って奔った。
天下の大事件であった。昭和31(1956)年のことである。
数年後武田はシドニーホバートヨットレースに参加する。吠える40度線と呼ばれる海域を走る過酷なレースとして知られる。武田は日本人として初めて海外の大レースにチャレンジした男であった。60数艇中34位の成績であったという。
 
小林正和という男がいる。
1985年頃、英虞湾内に基地を構え「ベンガルベイヨットクラブ」としてアメリカズカップへの挑戦を表明した。そのオーナーが小林正和であった。名古屋のビル賃貸業者であったという。
資金が尽きたか、1990年には撤退する。しかし私は敢えて最初に孤軍旗を揚げた小林の意気を壮とする
SB食品の山崎達光もア・カップ挑戦に名乗りを上げ、こちらにはヤマハがバックに付き殆どナショナルチームとして1992,1996,2000と3回の挑戦を行うが予選通過にも至らず敗退した。山崎も好し!
 
昨夜電話してきたFさんはこのベンガルベイヨットクラブの流れを汲む人であった。ベンガルチームの若手のクルーであったようだ。
そして私はそれを知らなかったが武田陽信がベンガルチームのプレイイングディレクターを務めていたという。
 
私が書いた武田陽信や小林正和の記事が検索するとよく出るので私が彼らと親しかったと思い墓参を報告してきたのだ。この2人を記憶する人はもう少ない。
もって瞑すべし。
 
黒潮丸未だ世に在り。

2018.12.02

引越物語-刺繍のもの

断捨離の精神は捨てたものの、引越しの荷物整理は悲しい。
 
2階の押入れの天袋の奥からこんなものが出てきた。
 
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181202shishuuzabuton4
 
妻が私の還暦祝いに作ってくれた赤い座布団である。自分の刺繍を松坂屋で仕立てさせてくれた。
一度も使ったことがない。
さすがに捨てるに忍びず移転の荷物に含めたが、果たして置く場所があるか?
戸塚きく先生について戸塚刺繍をやっていた。刺繍の糸をボストンバッグ2つ、用布を洋服箱2つ、廃棄した。
額は4枚残した。
 
181202shishuugaku
 
琥珀磨きの一式は大きな箱に入れて見も知らぬ人に呉れてしまった。

2018.11.24

冬桜

大室山麓のさくらの里に行った。冬桜が咲いていた。
181123-sakuranosato09-fuyuzakura.JPG
 
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病院以外への外出は4か月ぶりであった。
 
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冬桜の容貌である。このところ体重が6キロ落ちた。
かってこの石舞台に花を飾った。
森本先生ももう居ない。
 
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ところでこの写真は誰が撮ったとお思いか?
 
私が撮ったのである。右手の自撮り棒で撮っている。
先日千円で購入したが優れ物だ。
181123-sakuranosato10-jidoribo.JPG
 

2018.11.22

断捨離

断捨離真っ最中である。
先日はらくだ屋という焼津の古道具屋が来て茶道具、軸など一式を引取って行った。3万5千円であった。
 
~~~~~~~~~~~~
今日は庭の倉庫と屋根裏ロフトの片付けを「伊豆の便利屋<手伝い日和>」という業者に依頼した。
倉庫には工作道具、カーテン、お雛様、人形など、他に頂きもの、引き出物、妻が持たされた源右衛門の食器揃いなどが使われないままくすぶっている。
ロフトには47年分のKAZI誌全冊ほか海図、書籍類、書画の額などで一杯であった。
私一人では絶対に出来ない作業である。
 
男3人で来て3時間、この車で5台分を搬出した。5万5千円であった。
 
 
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ここに見える本は売れない本である。
 
~~~~~~~~~~~~
かく心を鬼にしての断捨離であったが、五木寛之に「75才を過ぎたら断捨離などするものではない。年寄りは思い出と共に生きるのだ。」の言葉があることを知り矛先が鈍った。
たちまち持って行くものが増えた。
 
~~~~~~~~~~~~
引越しを18日後に控えた  黒潮丸

2018.11.16

引越物語-マンションの部屋

中銀ライフケアマンション水口の分譲マンションを購入した。
中銀マンションは熱海に10ヵ所あり、2000人以上入居している。
なにが<ライフケア>なのかというと、看護師の常駐、食事サービスあり、要介護になった場合にケア棟に入居出来る、のサービスがあるからである。
水口は来宮駅からタクシー700円、熱海駅から1400円である。適宜バスもある。
 
部屋は78㎡でまあまあの家具が持ち込める。
先住者は高齢のインテリ男性だったようで、綺麗に後始末してあった。
 
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それでも手入れは必要だ。
1.和室をフローリングに替え、妻の部屋とする。
  障子を板戸にし、カーテンレール設置。
2.洋室を箪笥部屋とパソコン部屋にする。
3.リビングをカーテンで区切り、私の部屋とダイニングにする。
4.照明とエアコンを交換する。
これで150万円となった。
 
12月10日転居予定である。忙しい。
 

引越物語-熱海の新聞

妻と熱海の医院に行ったら待合に熱海の新聞が置いてあった。
 
~~~~~~~~~~~~
起雲閣で華道展が開かれているという。市華道連盟所属の6社中の出展という。
千家古流、京古流、MOA山月光輪花、小原流、池坊、池坊祥流の6派である。
草月が無いのが珍しい。
 
小原流はどんな先生だろう?一度教室をのぞいてみたい。
 
181112-atamishinbun-ikebana.jpg
 
~~~~~~~~~~~~
昨年「蜜蜂と遠雷」(恩田陸 直木賞受賞)を読むまで、浜松国際ピアノコンクールのことを全く知らなかった。
伊東に20年暮らして、伊東の新聞には一度も出なかったということだろう。
 
ここでは今年第10回のコンクールで参加者が使ったピアノの銘柄が話題として記事になっている。
ヤマハが何人、カワイが何人、スタインウエイが何人。
 
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~~~~~~~~~~~~
タクシーの運転手に和食の美味しい店を訊ねた。
「きときと」「てんしょう」「釜鶴-料理部」・・・
行ってみよう。
 
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熱海に住むことに昂ってきている  黒潮丸
 

引越物語-写真アルバム

アルバムの写真をスマホに移したりホームに入るその日のために>  秩父市高橋
 
いつだったか新聞歌壇で見付けてメモしておいた句である。
今私はまさにそのことを実行している。
 
私は比較的真面目に写真はプリントしてアルバムに貼って保存していた。
2000年頃以降はPCに保存するだけになったが。
引越しを前にして撮りためたアルバムの一部をスマホで撮ってPCに入れようと発心している。
そんなことをして誰が見るというのだ。
 
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貰ってくれるかい

小生、いよいよ熱海への転居を決めました。
詳しくは追々書きます。
 
先立つのは荷物の整理である。整理というより処分である。
何よりもまず本である。一番頭が痛い。
 
わが書庫の奥に「大言海」(大槻文彦 富山房 初刊1904)4冊がある。妻の祖父からうけ継いだ。
 
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2018-10-28 12.12.51.jpg
 
祖父は陸軍獣医総監を務め、没後従三位をうけた。
亡くなった後、祖母に「これを頂きたい」と言ったら祖母は「貰ってくれるかい」と返した。
東京農大を苦学して卒業し、結婚後も楽ではない生活の中から総皮装のこの辞典を購うには相当な思いがあったであろう。
祖母はそれらの万感を思い返して、新しく迎えた孫に「貰ってくれるかい」とひとこと言ったのだ。
私はその思いを思ってとてもこの書を捨てられない。
この古い「大言海」を新居に伴う。
 
~~~~~~~~~~~~
もう一つ辞典がある。諸橋轍次の「大漢和辞典」(大修館書店 1959)全13巻である。
これは義父から受継いだ。これも捨てられない。
八方探して栃木県の田舎の古書店に引き取ってもらった。
肩の荷が下りた。
 
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 これも皮装本である。
 
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その他では堀田善衛、須賀敦子、茨木のり子あたりは持って行けそうだ。
岡本かの子、高橋和己は諦めた。
 
老いの道を歩き始めた  黒潮丸

2018.10.31

南瓜

 外つ国の南瓜は笑う十月尽    西川*
 
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一昨年10月にFacebookで見かけた句である。名句だと思う。
西川*氏は俳人ではない。IT技術者で書を嗜む。
 
  馬鹿面を南瓜で隠す十月尽    黒潮丸
 
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わが英国の孫娘
 

2018.10.29

ジュリアナTOKYO

ダンスついでに一題。
 
私がマリーナ建設に打込んでいた1991年11月、丸の内の出光本社に日商岩井レジャー産業部の面々が訪ねて来た。
なんと著名なセーラーでヨットデザイナーでマリーナのデザインも手掛けているロン・ホランドを帯同していた。
ヨット乗りの私はその盛名のご本人を前にして、ただただ恐れ入るばかりだった。
 
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用件は当時計画中だった出光三河みとマリーナにロンのデザインを使ってくれとの提案であった。
そして1週間後には本国の事務所に描かせたラフを送らせて持参した。
 
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そして日商岩井は当時流行りの盛りにあったジュリアナTOKYOのボックスシートに私を招待したのだった。
毎夜数千人が押し掛け、入場すら難しいと言われていたジュリアナTOKYOであった。
 
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結局この提案は既に計画が進行していたため採用に至らなかった。
 
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ジュリアナと言えば折口雅博である。
日商岩井の社員からジュリアナの成功を土台に、グッドウイル(人材サービス)、コムスン(介護サービス)などを手掛け遂に経団連の理事にまで上り詰める。
 
そして現在はトランプタワーに事務所を構え、投資ファンドで成功しているという。
 
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人間が違うな。

2018.10.27

ミスインターナショナル

今年のミスインターナショナル日本代表・岡田朋峰(ともみ)嬢20才である。
 
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この顔貌と名前から某俳優を思い浮かべるのは相当な年寄りであろう。
 
そう、これは二枚目俳優岡田真澄の娘である。
岡田63才の時の子供という!
 
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私は若かりし岡田真澄と話をしたことがある。
 

私は一橋文芸部の大和田政也に頼まれて「一橋文芸」発行の資金作りを手伝っていた。
資金作りとはダンスパーテイの開催である。
会場を借り、バンドを頼んで、女子大生にチケットを売る。そして利益を出す。
どうしてか私にはそのノウハウがあった。
 

石原慎太郎が「一橋文芸」に発表した「灰色の教室」が「文学界」の新人賞を獲った。
そこで一橋文芸部は「石原慎太郎・文学界新人賞受賞記念」と銘打ってパーテイを開き、一稼ぎを企んだ。
名前を使うからには石原先輩に挨拶しておかねばならぬ。私がその使者にたった。
「先輩をダシにしてパーテイをやらせてもらいます。」と言ったら、「ダシにするとは何事だ。」と頭から叱られた。
そういう物言いをする人であった。

 


この新人賞をきっかけとして「太陽の季節」の芥川賞につながる。

 


当日の会場は阿佐ヶ谷会館であった。
開場してしばらくして2人の青年が現れた。折り目正しく幹事の私に挨拶した。
石原慎太郎は来なかったが、代わりに弟の石原裕次郎と岡田真澄を差し向けたのであった。慎太郎なりの配慮でありサービスであった。
私も誰も一橋生は誰も2人の青年を知らなかった。まだブーム点火直前の彼らであった。
しかし2人が現れるやあたりは騒然となった。女子大生たちは彼らがなんたるかをすでに知っていたのだ。
確かに2人にはオーラがあった。いや物凄い熱気だった。
60年たった今も忘れない。

 



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石原裕次郎と岡田真澄の挨拶を受けた  黒潮丸
 

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