胸にバラの花を挿して
胸にバラを挿して歩いていて、ふと次のフレーズが口をついた。
丹花を咥えて巷を往けば、畢竟惧れはあらじ
岡本かの子のどこかにあった。
私が岡本かの子を読んだのは大学1,2年当時である。膨大な短歌を除いて殆ど全作品を耽読した。
渋谷宮益坂にたしか<麦書房>という古本屋があり、そこで「鶴は病みき」「老妓抄」「生々流転」の初版本を見付けた時は驚喜したものだ。
「生々流転」の書き出し、<遁れて都を出ました>の一節に痺れた。
かの子の生家大貫家が二子新地にあったというので目蒲線緑ヶ丘のわが家から自転車で何度か探索に行った。田園風景の中、雅びなサイクルージングであった。
その後ドイツ語の講読でニーチェ「ツアラツストラ」のトバ口を読み、<人間は克服さるべきあるものである>としてわが文学趣味を克服したのだった。
アルスツアラツストラドライツイッヒヤーレアルトバル、フェアリースエルザイネハイマート・・・
アッハ。思い出すなあ。
本格的にヨットに乗るのはそれからである。
”丹花”といえば赤い花である。何の花だろう?
かの子といえば牡丹だが、口に咥えて歩く花ではない。トゲのあるバラでもない。
ハイビスカスか。コウショッキか。
いま、わが胸に赤いバラを挿して歩く。
老いの歩みの、いささかでも軽くなろうというものだ。


































