2017.11.06

この血の冷たさは何だろう

「読者の方々の胸にもしばらく、かなりの負担をかけそうである。」
 
読売新聞「編集手帳」の一節である。
 
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かねて名文・達筆で知られた本欄の筆者が竹内政明氏から清水純一氏に代わってまだ一月も経たないのにこの一文である!
 
このコラムはいずれコラム史に残る名文と讃えられるだろう。
 
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2017.11.03

ホテルオークラ ロビーの生け花

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dマガジンで雑誌「CASA」11月号の特集記事<おさらい 日本の名建築>を見ていてこの写真が目に留まった。
ホテルオークラのロビーの生け花である。
 
ここは谷口吉郎の設計で1962年に竣工した。
そして建て替えのため2015年に取り壊された。
CASAは「金閣寺や法隆寺壁画の焼失にも匹敵する損失だ」と嘆く。
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~~~他のホテル~~~
試みに<帝国ホテルの生け花><ホテルニューオータニの生け花>・・・・を検索あれ。
それぞれに豪華な生け花の写真が沢山現れる。
 
しかしいかんせんオークラ・ロビーの生け花に敵うべくもない。
場が違うのだ。
 
~~~再生~~~
幸いなことにオークラ・ロビーは再建され2019年に披露される。
設計は谷口吉郎の息子だという。
どんなになるのか、楽しみだ。
 
そうだ、再生されたオークラに泊まってワールドカップ・ラグビーを観に行こう!
ホテル以前の大倉集古館時代から知っている爺の最後の望みだ。
 
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2017.10.27

三養荘で芸妓踊り

伊豆長岡の三養荘で芸妓さんの踊りを観た。 ハッハッ、豪気なもんだ。
 
~~~三養荘~~~
三菱・岩崎弥太郎の長男久弥が伊豆長岡に建てた別荘である。
3千坪の庭は小川治兵衛の作とされる。
戦後昭和22年から旅館営業となったがかってのご威光から別格扱いされ、伊豆第一の格式を誇った。
 
庭に点在する大きな離れ屋が宿泊棟であった。
私は20数年前に妻と泊まったことがあるが、当時1人1泊5万円したと思う。
浴室の床の伊豆石が印象に残っている。
 
今回行ってみて、プリンス系列になっていることを知った。
料金も1人1泊25千円程度である。プリンス系列の宿泊プランに合わせたようだ。
庭を拝観しただけで部屋には入っていないので詳しくは判らないが、それ相応のレベルになっているように思われた。
庭木の剪定も、掃除も、除草も、それなりにきちんと行われているが、どこか厳しさに欠ける。
 
玄関
 
 
他で見たことが無い燈籠だ
 
 
~~~あやめ座~~~
この三養荘の大広間を使って、伊豆の国市観光協会や長岡見番が「華の宴・あやめ座」という踊りの会を企画した。今年は第2回目だそうだ。
観客は120-130人も集まっただろうか。入場料3000円。
気の置けない楽しい会であった。
 
 
 
 


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年金ではなく稼いだ金で、自分の座敷で芸妓を舞わせたい  黒潮丸
 

2017.10.21

丞相病篤かりき

わが家の老犬ロビーは16才、もう2年2カ月も悪性腫瘍で抗がん剤治療を続けており、その薬害で眼は見えず、耳は聞こえず、足は衰え、やっとこの夏を越した。
犬種はワイヤーフォックステリア、体重10kgの精悍な犬であったが、もういけない。
 
 
この2週間、ほとんど寝ている、立てないので食事は妻が手で丸めて口に入れてやる、排泄は紙おむつで受ける。
医者はもうこの状態で生かしておく意味は無いという。しかし排泄の後おむつ交換を要求して我らを呼んで吠えるのを聞くと、まだ生きたい意志を感じざるをえない。
ロビーの病篤し、命旦夕に迫る。
 
~~~丞相病篤かりき~~~
O兄の西安・敦煌旅行記、漢詩、<病篤し>ときて、<丞相病篤かりき>のリフレインが口に付いて離れなくなった。
 
星落秋風五丈原   土井晩翠
祁山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原、
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか。
丞相病あつかりき。
 


清渭の流れ水やせて
むせぶ非情の秋の聲、
夜は関山の風泣いて
暗に迷ふかかりがねは
令風霜の威もすごく
守る諸営の垣の外。
丞相病あつかりき。
 


帳中眠かすかにて
短檠光薄ければ
ここにも見ゆる秋の色、
銀甲堅くよろへども
見よや侍衛の面かげに
無限の愁溢るるを。
丞相病あつかりき。
 

・・・・・・・・
 

何時の頃覚えたものか、あとは忘れた。全篇300行を超える長詩である。
 
 
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老夫婦でやっと老犬1頭を支えている 黒潮丸
 

2017.10.15

子規と漱石の漢詩

先信で「子規は漢詩のルールを覚えられなかったから俳句に逃げたのだろう。」なんて書いて大恥を晒した。
所詮私は文墨の士ではない。
 
子規と漱石は慶応3年(明治元年)の同年生まれである。
2人は同じ下宿に暮らすほど親友であった。
 
~~~子規~~~
 
夏目漱石の伊予に之くを送る
 

去(ゆ)けよ三千里
君を送れば暮寒(ぼかん)生ず
空中に大岳(たいがく)懸かり
海の末に長瀾(ちょうらん)起こる
僻地交遊少なく
狡児(こうじ)教化難からん
清明に再会を期す
後(おく)るる莫かれ晩花の残(そこな)はるるに
 
明治29年1月、正月で帰京していた漱石が任地の松山に戻るのを子規が新橋駅に送った時の作という。
このあとすぐ子規は脊椎カリエスを発症し以来癒えることがなかった。
 
~~~漱石~~~
 
客中春に逢いて子規に寄す
 

春風 東皐(とうこう 東の丘)に遍き
門前 碧蕪新たなり
我が懷は 君子に在り
君子 嶙峋(りんじゅん 険しい山)を隔つ
嶙峋は 跋ゆ可からず
君子 空しく穆忞(ぼくびん 純粋な心)
悵望(ちょうぼう 嘆く)するも 就く可からず
碧蕪 徒らに神を傷ましむ
憶う昔 交遊の日
共に 管鮑の貧しきを許しき
斗酒 乾坤を凌ぎ
豪氣 星辰に逼る
 
松山に戻った漱石はすぐに熊本に転任になる。
これは熊本から子規に送ったもの。
 

2017.10.14

漢詩-3題

~~~王維・渭城の朝雨~~~
先日、学友O兄より「西安から敦煌まで」の旅行記をもらって感動した。
80才を超えて1800kmのバスツアーへの単独参加である。
彼は30年前に同じコースを旅した経験があるというが、それにしても何たる気力、体力であろうか。
 
途中の祁連山脈は平均高度4000m、長さ2000kmという。
 
学識経験に裏打ちされたその所見は並みの旅行記とは隔絶した深みにある。
豊富な写真が添えられているが、私の気を引いたのはこの1枚であった。
 
 
敦煌の郊外陽関に立つ王維の像である。​
なんだ、これは! 王維は友を西安(長安)の郊外渭水まで見送ってあの有名は送別の詞を作ったのではなかったのか?
王維の思いがこの石像に乗り移って陽関まで飛んで来たのか?
 
元二の安西に使いするを送る   王維
渭城の朝雨 軽塵をうるおし
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
西のかた陽関を出づれば 故人無からん
 
送別の詞といえば万人が思い浮かべるこの詞を、65年前に我らに教えてくれたのは豊橋東高校の坂柳童麟先生であった。
今に脳裏に刻まれて消えることがない。遥かに師恩を憶う。
 
~~~杜甫・春望~~~
妻は10年前に乳がんの手術をうけ、その薬害であろう、めっきり髪が薄くなった。
それで今年になってウイッグを付け出した。
最近、「地髪が薄くてウイッグが留まらない」と嘆く。
 
たちまち私は杜甫の<春望>を想起した。
太平洋戦争敗戦後の我らには殊更に身に沁みた詞である。
国破れて山河あり
城春にして草木深し
・・・・・・
結句2区
白頭を掻けば更に短く
すべて簪(しん)に絶へざらんと欲す
 
~~~漢詩の作法~~~
たまたま漢詩を思い出すことが重なり、はて自分でも作ってみようかと、ちょっとだけ思った。
 
しかしその世界は予想以上に厳しい世界であった。
かって連歌に、何句目に花の句を入れろ、月の句を入れろ、恋の句を入れろとと約束事があってなんと面倒な世界かと思ったが、漢詩はそれ以上にきまりの多い世界であった。
「押韻」の言葉は知っていたがとても簡単なものではない。何万字とある漢字が必ず106個の韻目のどれかに属し、同じ韻目の中で押韻しなければならない。
「平仄」(ひょうそく)はもともと漢字の発音に由来するもので、どの字も平声(ひょうせい)、上声(じょうせい)、去声(きょせい)、入声(にゅうせい)のどれかに分類される。
漢詩を作るためには使用する字の韻目と平仄を知らねばならない。漢和辞典をひけば出ている。この確認作業を「圏発」というらしい。
 
「押韻」の規則
1.5言句では偶数句末に、7言句では初句と偶数句末に押韻する
2.押韻は「平声」30韻の中の同じ韻目に属する字で揃える
3.押韻には同じ字を使わない
4.押韻しない句末には「仄声」の字を用いる
特別ルール: ・通韻 ・冒韻 ・踏み落し
 
「平仄」のきまり
1.二四不同
2.二六対
3.一三五論ぜず
4.孤平の禁
5.下三連の禁
6.反法・粘法
7.同韻の禁
8.同字重出の禁
9.押韻には平声を用いる
10.韻を踏まない句の末字は韻字と逆の平仄にする
11.末字と5字目(5言句では3字目)の平仄不同
12.各句の頭字を同じ平仄にしない
例外.挟み平
 
老生の頭では何度読んでもこの規則を覚えられない。
 
「李白一斗詩百篇」と言われるが、李白の詩はどんなに酔っていてもこのルールを外れなかったという。
漱石も鴎外も立派な漢詩を作っているが、幼い頃からこのルールを叩き込まれたのであろう。
子規は案外このルールも連歌のルールも覚えられずに俳句に逃げたのではないか?
~~~~~~
漢詩作成アプリを開発してノーベル文学賞を窺う  黒潮丸
 

希望の党の公約―ベーシックインカム

希望の党(小池百合子代表)の選挙公約が発表された。その中に「ベーシックインカム」の言葉がある。
正確には「ベーシックインカムの検討を開始する」であるが。
懐かしい。
私がこのブログで「ベーシックインカム」に触れたのは2008/10であった。
~~~2008/10/24~~~
「ベーシック・インカム」とは、一定額の所得を、すべての人々に、個人ベースで、無条件に交付しようという構想である。
現在の財産や所得、過去の就労経験、将来の就労希望とは無関係に支払われる。
私はゲッツ・ヴェルナーの「ベーシックインカム―基本所得のある社会へ」(現代書館 2007/11刊)を読んで感銘を受け、「ベーシックインカムのこと」と題して次のように書いた。
1.この書でヴェルナーは、「近代工業化社会は大規模化、生産性の向上により、社会の成員のすべてに労働の場を与えることが出来なくなった。しかしそれでは資本主義社会が成立しない。職のない者にも購買力=ベーシック・インカムを与えなければならない。」という。
一見社会主義思想のように見えて、資本主義社会の維持を目的とする。この解釈でいいのかどうか?
日本国内の<グローバル化に負ける>議論とレベルが違うところである。
2.世界中でいろいろ議論されているが、決定的に<この構想は成り立たない>と証明した人はいない。
Googleで「ベーシック・インカム 議員」と検索すると幾つか出てくる。わが国会でも何度か質問されている。(2008年当時で)
しかし殆どは、「私はこんな言葉も知っていますよ」というひけらかしである。
政府の答弁も、「難しい。検討不十分。不可能。」と官僚の作文通りになっている。
そりゃそうだろう。こんなことが実現したら官僚は飯の食い上げだ。
~~~2017/6/12~~~
「隷属なき道―AIとの競争に勝つベーシックインカム」(ルトガー・ブレグマン 文芸春秋 2017/5刊)が発刊され、評判だったので読み始めた。
新たに得た知識
・1960年代、米大統領ニクソンはベーシックインカムの法案に着手し、圧倒的賛同を得て下院を通過、しかし上院で民主党の反対に遭い、数年後に廃案になった。
カナダで1970年代に世界最大規模のベーシックインカム実験「ミンカム」が行われた。実験の結果は、町では入院期間が8.5%減り、家庭内暴力も減少、メンタルヘルスの悩みも減った。
・ブラジルからインドまで、メキシコから南アフリカまで、2010年にはすでに45か国の1億1千万を超える家庭に現金が届けられている。
しかし30%ほど読んで面倒くさくなり、あとは未読で抛ってある。
~~~2017/10/6~~~
今あらためて「希望の党の公約」と聞いて、<今更なによ><新しそうな単語のひけらかしだろう>の感が強い。
官僚に忖度させて実現に結びつければ大したものだ。
一応「隷属なき道」を最後まで目を通すか。
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年金制度をやめてベーシックインカムになっては困る  黒潮丸

さくらの里の石舞台

9/29~10/1と伊東さくらの里で「クラフトの森フェスティバル」があった。
並みの露店市やフリーマーケットと違ってこの「クラフトの森」は出展に審査があって格式が高いのだそうだ。
好天に恵まれていい人出であった。
 
毎年森本先生社中で石舞台に花を活けていたのだが、先生が亡くなってこの2年は花が無く、淋しかった。
今年、花が復活したという。
楽しみにして出掛けた。
 
 
 
 
 
あたりに関係者は居らず受付で聞いたら作者は日吉鈴子先生、教室を開いて教えるのではなくホテルなどのディスプレイを仕事にしている方だという。
このすすきの穂の赤は染料を吸わせて染めたものである。
 
~~~森本先生~~~
思えば私はこの石舞台で森本香恵子先生の作品に魅せられ、中伊豆まで訪ねて弟子入りしたのであった。
それまで花は専ら植えるものであったが、初めて切って楽しむことを覚えた。
一昨年、亡くなられた。
 

2014年10月、ここでの最後の作品となった
 

​手前の緑色の花器と、奥の白い壺が森下の作品​
 
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師恩を偲ぶ  黒潮丸

カード取扱い-事始め

~~~20年前~~~
もう20年も昔、私がアメリカでマリンサーベイの講習を受けた時、講師であるサーベヤーの爺さんが(75才、今の私より7才も若い!)いとも簡単に現場(ボートの上)でクレジットカードでの入金を受け付けていたのに衝撃を受けたものだ。
 
 
日本でその当時のカード取扱いはしかるべき店舗を持った営業体でどこぞ?の協会の審査に合格し​、5万円もするカードリーダーを購入し、規定の伝票を揃えて扱うものであった。
とても個人営業のマリンサーベヤーに許可?は出なかった。
諸兄の中にはその許可を出す側にいた人も居るであろう。
 
7、8年前にその基準が緩和されたらしいので再度申請した。
却下された。
 
​~~~カード決済のニーズ~~~
現在わが家にとってカード決済のニーズは小生のマリンサーベヤー業務より、妻の「琥珀磨き体験工房」にある。
通常の客単価は6、7千円だが家族4人で来れば3万円にもなる。
やはり旅先での現金支出は抑えたいところであろう。
カード可なら大きな石を選ぶかもしれない。
 
~~~Square~~~
3年前頃からスクエアSquareという会社がスマホに小さなカードリーダーを取り付けるだけでカード決済が出来るサービスを始めた。
最初は無料でカードリーダーを呉れたがあまり冴えなかった。このところリーダーが有料になって機能改善されたというので申し込んだ。
リーダーは5千円、決済手数料は3.25%である。
 
 
このカードリーダーをスマホのイヤフォンジャックに差し込み、客のカードのICチップを挟んで読み込ませるのである。
 
 
Squareのアプリを起動し、試しに私のカードを挟んで1000円を​決済させたら一発で成功であった。
 
~~~iphone7~~~
実際に取り扱うのは妻のスマホである。
はたと困ったのは妻のiphone7にはイヤフォンジャックが無いのである。(私のは1型古いiphone6S)
さてさてと調べたら、iphone7の購入時の箱にコネクターが入っていた。
 
 
 
問題解決! 早速500円の決済に成功した。​
 
~~~現金とカード~~~
私はずっと支払いには現金の方が相手に親切だと思っていた。
カードでは手数料を引かれるし、実際の入金に多少のタイムラグがある。
しかしこれは老人の考えであった。
昨今では忙しいレジの現場などで現金は煩わしいのだそうである。
数えなければならないし、釣りを渡さなければならない。
カードならすっと通してそれで終わりである。
 

神縄断層―伊豆半島の付け根

、妻が「神縄断層見学」のバスツアーに参加した。
「神縄(かんなわ)断層」とは静岡県小山町で見られる伊豆半島が本州にくっ付いている現場である。
私は数年前に行ったことがあり、その感激をあまり語るものだから今回東海バスのこのツアーを見付けて妻だけ参加したのであった。
 
 
これが現場である。
無造作にコンクリの擁壁が迫っているが、この工事をした時には断層と知らなかったらしい。
右側の礫層が伊豆半島側であり、左側の凝灰岩が本土側である。
伊豆半島側が礫層なのは、酒匂川や黄瀬川から流された砂利が伊豆島に堆積して礫層となり、そのまま本土に押し付けられたのだそうだ。
 
これは妻が撮った写真だが、7年前に私が撮った写真と全く同じである。
私より余程生物や地学に関心が強い妻には大感激であったようだ。
 
ところで妻たちのツアーバスはこのあと「景が島渓谷」にまわったらしい。
山の中で大きな柱状節理が見られる景勝地だという。
そしてそこの説明版に西行の歌を見付けた!
 
 
<ひさたへて我が後の世を問へよ松あとしのぶべき人もなき身を> 
西行といえば900年も昔の歌人である。手植えの松もあったという。!
にわかに信じ難く、ちょっと調べてみた。
すると西行の家集「山家集」にある歌であった。 ただし数文字違っている。
 
<ひさに経て我が後の世を問へよ松あとしのぶべき人もなき身ぞ>
 
そして四国善通寺玉泉院にも歌碑と手植えの松があるのであった。
 
 
900年昔に西行は御殿場をまわって奥州に行ったということか。
それにしても1000年を経ても人情は変わらないのう。
 

2017.09.06

灯台3-若山牧水と神子元島

前に若山牧水が神子元島に友人を訪ね滞在したと書いた。
どんな所だったのか。
 
たまたま牧水の「灯台守」という短編小説を見付けて読んだ。大正2年(1913)に書かれたものという。
当時牧水は28才、結婚し1子が生まれたものの生活は安定せず、自身の短歌結社の機関誌「創作」の発行に苦労している時期であった。
 
牧水は神子元島の灯台に勤務していた早稲田時代の学友Kに誘われるままに島を訪ねた。
Kは熊本の金満家の息子で大学卒業後実家から2万円の大金をもらって家を出た。
その金で長崎で島を買ったり種子島に住んだり勝手な暮らしをしていたが、アメリカに渡って放浪した挙句金が無くなり下級船員をしながら帰国した男であった。
もう実家には顔を出せない。そこで神子元島に灯台守の職を得たのであった。
 
「この島は周囲15,6丁くらいの岩礁で、固い子葉の一種の磯草が僅かに岩陰に生えているほか磯馴松一本をすら見ることが出来なかった。水も無論無い。洗濯や入浴のためには天水を溜めるように丁重な仕掛けがしてあり飲料水その他の食物および日用品等をば1週間に1度ずつ数哩を距てた対岸の下田港から灯台付属の便船で運んで来ることになっていた。」(灯台守)
Imgmikomotojima170901
 
 
Kは4人居る灯台守の次席であった。
牧水は便船で島に渡ったがその荒寥に恐れをなし、その日の帰便で帰ると言った。
するとKは激高し、「こんなに待っていたのに帰るとはなんだ!」と牧水を押し倒し続けざまに殴りつけた。
結局牧水は1週間留まることになった。
 
ある日、Kは牧水に「灯台守にならないか」と言い出した。
「6ヶ月の講習を受ければいい。そうすれば25円の給料になる。ここでの生活費は5円だ。毎月20円の貯蓄が出来る。」
Kはよほど淋しかったのだろう。なんとか牧水を引き留めたかったのだろう。
牧水も東京での生活苦を考えると惹かれないではなかったが、さすがに断って島を去った。
 
いま対岸の須崎に立つ歌碑の歌には確かに神子元島での苦い思いが滲み出ている。
 
<友が守る灯台はあはれわだ中の蟹めく岩に白く立ちおり>   牧水
 
*4人の灯台守が居た灯台が今は無人である。
*25円の給料に魅力を感じる時代に2万円がいかに大金であったか。

2017.09.05

灯台-2

前に私が灯台フリークである所以を書いた。
 
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それぞれの灯台の光り方(灯質)を光る灯台模型を作ってみたいと書いた。
あわよくば売り物にしたかったのである。
灯台フリークは日本より海外に多いので世界に売ってみたかった。
 
~~~電子回路の外注~~~
思い通りに灯台を光らせるにはLEDライトと電子回路が必要である。
私にはその基礎知識すら無いので外注することにした。
1セットで1000円以内を想定した。
 
 
ケース1
​出来上がりで1個3500円。しかもサイズが大きく灯台模型に収まらないのであった。
 
ケース2
着手金10万円。その後も1灯台毎に設計料2500円、1個1500円であった。
 
いずれもわが想定を大きく上回った。
 
~~~自作~~~
自分で作れないものかと考えた。
 
私にはその素養はまったく無い。
用語もままならない中、やっと「LED実験・工作キット」に辿りつき取り寄せた。約2500円。
 
 
ピカピカと光るキットが1揃い入っている。
しかし光るだけである。「何秒毎に・・・」というような指示は別に勉強しなければならない。
さて入り込むべきかどうか、まだ手つかずである。
 
~~~灯台模型~~~
自分でもわずかに灯台模型を持っていたので、あちこちの灯台模型を簡単に入手出来ると思っていた。
ところがそういう世界ではなかった。神子元島の灯台、大王崎の灯台といって揃ってはいないのである。
注文して作ってくれる業者も無い。
理由ははっきりしている、ニーズが無いからである。
 
各灯台をデザインし、型をおこして制作し彩色し、幾つ売れるものか。
各灯台の売店に置けば少しは売れるだろうが、誰が型代を出すのか。有名灯台だけで50~100ヶ所ある。
売価は@3000円程度であろう。
 
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いつも思い付きだけの  黒潮丸
 

2017.08.20

灯台モード

このところ俄かに灯台モードである。
きっかけは「灯台はそそる」(不動まゆう)の書籍広告であった。
小さな広告だったが気をそそられて発注した。8/11。
著者は海事には関係の無い普通のOLだが、どこでどう狂ったか灯台愛が嵩じて個人で灯台のブログを運営し雑誌を発行している。
現在も夏休みで遠出してイギリスあたりの灯台を経巡っている。
 
 
内容は私としては特に共感も感動もなかった。飽くなき灯台フェチに感心したのみである。
一番の理由は彼女にとって灯台は「見る」対象なのに、私にとっては「導き」の対象だったからである。
 
~~~位置をとる~~~
私がヨットに最もよく乗っていた時代、GPSもなければ通信機器もない、一旦海に出れば陸と連絡をとる手段は何も無い時代であった。
自艇の位置はチャートに2点の陸標から直線を引き、その交点を自位置としたのであった。最も信頼できる陸標が灯台であった。
例えば東京から熊野灘に向かう場合、剣崎と風早埼から線を引いて交点に時間を記入しておく、そして爪木崎と竜王崎の交点で時間を記録する。その交点と交点の距離をデバイダーで計り、その間の距離で自艇のスピードを割り出すのであった。スピードメーターは持っていなかった。
線を引くのにハンドベアリングコンパスを用いた。目標に向けて方位を測定し記録するのである。
 
これが我が艇ではコンパスに次ぐ2番目の航海計器であった。
 
陸標を頼りに出来るのは沿岸航海である。陸が見えない大洋では天測になる。六分儀と天測表で難しい天測と難しい計算を行う。
私はそれをマスターする気力がなかったから沿岸航海ばかりであった。
 
陸標は夜間には灯台となる。ご存知のように灯台はそれぞれ固有の灯質(光り方)を持っている。
例えば剣崎灯台は「毎30秒毎に2白閃光、1緑閃光」である。石廊崎灯台は「単閃白赤互光 毎16秒」である。
暗夜に目指す方角に目指す光り方の灯台を認めた時の喜びは、固まった我が身を蕩かす思いがした。
 
主だった灯台の灯質(光り方)は覚えているのがクルーザー乗りの心得であった。御前崎とか、大王崎とか、見えてくる前に予見しておかねばならない。
とはいっても全部は覚えられない。そこで「灯台表」である。全国3000の灯台のデータが記載されている。
 
 
私のハンドベアリングコンパスと灯台表は最後の艇を手放した時に積み込んだまま渡してしまった。寂しい。
 
~~~神子元島灯台~~~
東京湾口の大事な灯台に神子元島灯台がある。「群閃白光 毎16秒2閃」
下田港から3マイルほど沖合の無人島である。小さな島にしては異様に大きな灯台が不気味である。
 
先日Facebookにドローンでこの島を写した動画が掲載された。見るほどに無愛想な島である。
ところが昔はここに灯台守が住んでいたのだ。
1913年、若山牧水が灯台守をしている学友を訪ねて島に1週間滞在したという。
牧水の学友と言えば早稲田卒だろうか。そんな人間がこの無人島に住んでいたのか?!
 
<友が守る灯台はあはれわだなかの蟹めく岩に白く立ち居り>  牧水
 
~~~灯台モデル~~~
灯台を好きな人は多いから、灯台の模型・モデルもそこそこ出回っている。
私も幾つか飾っている。
 
 
そこで思い付いたのだが、マイコンを仕込んでこれらの灯台を規定通りに光らせたい。
私にはとても出来ないが、クラウドソーシングで請け負ってくれる人が居るのではないか。
それでココナラに出したところ直ぐに手を上げる人が現れた。
 
しかし提案してきたのは電池とマイコンの入るコントロールボックスだけで弁当箱ほどの大きさになる。
私のイメージでは電池はボタン電池にして一式灯台の中に収まってしまうほどのものだ。
はてさてうまくいくかどうか。
 

2017.07.17

一帯一路対応と北方領土交渉

~~~海の日~~~
今日は海の日である。
中国の一帯一路構想と、ロシヤとの北方領土交渉について考えた。
 
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一帯は陸路であり、一路は海路である。
日本は一路にどう対応するか。
 
~~~北極海航路~~~
地球温暖化とともに、北極海航路が現実の動きとなりつつある。
 
Routedays
 
一路より北極海航路の方が遥かに経済的である。
 
~~~日露北方領土交渉~~~
北方領土交渉は「2島返還+α」と言っていたのがいまや「0島返還」、加えて1兆円ものカネをロシアに掠め取られようとしている。
2島返還、4島返還はとりあえず横に置いておこう。
それより「カムチャッカ半島に港を作ってあげるよ」と提案したらどうか。
その1兆円でカムチャッカに新港を作るのだ。
 
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北極海航路を利用してベーリング海峡を抜けた船はまずカムチャッカの港に寄りたい。
そこで荷物を積み替える。
北極海航路ではロシヤの砕氷船が随行するが、荷船自体も耐氷性を求められる重い船になるので早く積み替え​たいのだ。
 
日本向けも、中国向けも、アジア、インド向けもすべてここで積み替える。大変な港になるはずだ。
この港の建設を請けることこそ最大の日露交渉ではないのか?
地理的にカムチャッカでの建設工事は日本が最も優位にある。
 
~~~世界一路~~~
中国の一路構想は、北極海航路―カムチャッカ―津軽海峡―上海を加えることでやっと世界一路となる。
中国が津軽海峡を嫌って宗谷海峡を通るなら、宗谷海峡大橋を作る。
いずれにしろ海峡の航行は自由だが、世界一路の一角を日本が握る。
今年の海の日の黒潮丸の夢である。
 

2017.07.14

かかりつけ医

~~~私の常用薬~~~
・尿酸(痛風)
 40年前に発症し飲み続けている。30年前から止めてもいいのだが惰性で飲んでいる。
・アスピリン
 30年前にアスピリンの血液さらさら効能を知り勝手に飲み始めた。当時国内発売は無く、米出張先で買ってきていた。
 今はバッファリンAとかになって病院でもらっている。これも気休めの薬。
・逆流性食道炎
 7,8年前に発症し、はじめは原因が分からず悩んだがこの薬を飲み始めて治まった。唯一必要薬である。
 
これらの薬を貰いに2ヶ月に1度近所のH病院に行く。
ついでに血圧、血糖値、コレステロールを見てもらう。どれも問題無い。
 
~~~かかりつけ医~~~
このところ医療や介護の世界で「かかりつけ医」の文字がやたら目につく。役所が推奨しているのだろう。
それで、<かかりつけの薬局><伊東市民病院の受付><伊東市の老人窓口>に聞いた。
・「かかりつけ医」が定義されている法文はどこにあるか?。
・「かかりつけ医」と患者の間で何か契約するのか? 書面を取り交わすのか? その書式は?
・私の居住地域で「かかりつけ医」に相応しい医院はあるか?
 
どこもはっきりした返事が無かった。
 
~~~H病院~~~
車で5分、徒歩22分のH病院にはもう20年も通っている。
医者10数名の中病院である。
 
しかし10数名中常勤は3人くらいであとは非常勤、そしてしょっちゅう替わる。
夜間診療、休日診療、往診は無い。
 
とても「かかりつけ医」たり得ない。
 
~~~往診医~~~
近くに往診をする医者が居ると聞いたので行ってみた。
40代後半の医師1人のクリニック(内科、泌尿器科)であった。
 
あえて往診のことを聞くと、「患者さんが高齢になって通えなくなったら往診している。動ける人には来てもらう。」と気負いも衒いもなく答えた。
「かかりつけ医」の契約書は無いと答えた。
往診の理由を滔々と述べないのがいい。ここをかかりつけ医にするかもしれない。
 

2017.07.11

やまももの悩み

∞∞∞2017/7/6∞∞∞∞∞∞∞
毎日やまももの落果に悩まされている。
 
 
 
 
日毎に熟し、形も大きくなってきた。
 
しかしジャムはもう十分に作った。
ご近所には差し上げた。
 
写真の状態から人様に差し上げるには、1つ1つヘタを除って水で洗わなければならない。
年寄り夫婦にはもうそのエネルギーが無い。
捨てるしかない。
今朝は10キロ捨てたのであった。
 
 
妻の悲痛な叫びである。
 
あと何日続くやら。

馬が歌った

∞∞∞2017/7/4∞∞∞∞∞∞∞
~~~馬が歌うのを待つ~~~
トーマス・フリードマンが NY Timesに書いたコラムの抄訳がA紙に出ていた。
 
ある死刑囚が王様に「死刑を1年延ばしてくれたら王様の愛馬に歌を教え込む」と約束して延ばしてもらった。
仲間が「馬が歌うわけがない」と笑うと、死刑囚は「1年あればいろいろなことが起きる。王様が死ぬかもしれないし、馬が死ぬかもしれない。」と答えた。
 


これが私たちの北朝鮮政策だ。馬が歌うのを待つように「何かが起きる」のを待っている。
 

~~~This is a horse cry~~~
このほどわが国で王様の馬が嘶いた。
 
T高田、H萩生田、I稲田、S下村、A安倍
 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
馬丁  小池○○子
 

2017.06.27

曾孫への遺言

∞∞∞2017/6/24∞∞∞∞∞∞∞
~~~曾孫~~~
私には孫が2人いる。男子である。
1人は今年就職し、1人は大学に入った。
いずれ子を成すであろう。わが曾孫である。
 
もしそれが女子なら申し遺すことがある。
 
<絶対に桜蔭に入れるな>
 
~~~暴言~~~
何故なら、
あの豊田真由子の暴言は、中高を過ごした<桜蔭>で覚えたとしか考えられないからである。 
 
~~~~~~
孫馬鹿  森下一義
 

恐怖の季節

∞∞∞2017/6/23∞∞∞∞∞∞∞
~~~やまもも~~~
これから2週間、恐怖の季節である。
熟したやまももが降り止まぬのだ。
毎日5、6キロ落ちる。
 
 
 
 

~~~ネット~~~
落果を放置できない。
藪に落ちれば拾えないし、そのままにすると発酵して虫が寄る。
 
それでネットを張ってタモで浚う。
 
 
 
~~~収穫?~~~ 
拾ったとてどうなろう?
 
ジャム→食べきれない
リカー漬け→飲まない―アルコールを嗜まない
どちらも何年も前からのが貯まっている。
 
前年は23軒のお宅に加工しないままで配った。
 

次官、大臣、大統領

∞∞∞2017/6/23∞∞∞∞∞∞∞
~~~次官~~~
自民党国会議員豊田真由子が話題である。
 
東大、ハーバードを出て厚労省課長補佐であったという。
次官になる確率は相当に高かったであろう。
あの喚きようを聞けば、その確率は更に高かっただろうと思う。
 
 
~~~大臣~~~
その次官を捨てて国会議員に立候補したのは、次官で飽きたらず大臣を目指したからに違いない。
 
~~~大統領~~~
世の中ままならぬ。
議員になって5年、42才になったのに未だ2年生のぺーぺーに過ぎぬ。
 
折しも仏国では39才の大統領が誕生した。
遣る瀬無いなあ、真由子さん。
 

品切れ三隣亡

∞∞∞2017/6/19∞∞∞∞∞∞∞
今日は売切れ、品切れが3件も続いて三隣亡であった。
 
~~~中古艇~~~
今朝、ある中古艇について購入可否の問合せがあった。
良さそうな艇で、エンジン交換まで含めて幾らかかるか、幾らなら買ってもいいか、私なりに調査を始めたところ相談者から追っかけて「よそに売れました」と報告があった。
 
残念であった。
中古艇は骨董品と同じで巡り合わせである。
 

 
~~~古書~~~
昨夜、古書通販サイトで「漢詩名句辞典」を見付け注文した。
他所で12000円だったのを2000円で売っていて掘り出し物だった。
 
今日になって、「申し訳ない、もう売れていました」と謝りがあった。
残念だ。
 
~~~インク切れ~~~
グリーンバンクという機関から市民病院植栽の活動に球根などを配布してくれる。
それはいいのだが植えている様子の写真を要求される。これが実に面倒だ。
今時写真をプリントすることなど滅多に無い。
 
今日はライブラリーのボランティアで出先なのに、明日までに出せとやいのやいの催促だ。
帰宅してからさて印刷しようとしたらプリンターがインク切れであった。
もう店は閉まっている。
 
以前節約しようと買った補充インクがあったが、充填が面倒そうなので使わずに置いてあったものである。
背に腹は代えられない。
しぶしぶとやってみて、なんとか印刷出来た。
 
 
~~~~~~
世の中景気がいいのかな? 疲れるなあ!
後になって「コンビニで印刷できる」と教えられた。呆けてるなあ。
 

爺ころり

∞∞∞2017/6/2∞∞∞∞∞∞∞
~~~転倒~~~
2日朝、犬の散歩から戻って玄関前で転倒、右こめかみ上を花鉢にぶつけて裂傷した。
 
抗がん剤で視力聴力を失った犬のために玄関前に仮のスロープを作っている
ここで足をとられて転倒し、右上の花鉢にぶつけて裂傷した。猛烈に出血した。
 
病院で手当て後も出血が続いた
 
∞∞∞2017/6/10∞∞∞∞∞∞∞
~~~サーベイ講習会~~~
体調不調の中、予定していた「マリンサーベイ講習会」を行った。
希望者2名がわが家に来て実施した。
 

 
~~~~~~
どこか狂ったであろう  森下一義

2017.05.31

初島、三島、ルーシー・バートン

~~~初島~~~
21日、伊東のクルーザー「ペーパームーン」(ババリア34)で初島に行った。久し振りのクルージングだった。
1980年代からのヨット仲間Gさんの艇である。Gさんとは伊東港に艇を並べた間柄である。
彼との共通の話題はニール号探索に入れあげたYさんだ。Yさんのことで話は尽きなかった。
タクシー運転手のYさんはどこの営業所に移ってもそこでトップ3の稼ぎを上げた。勘のいい人だったがフィリピンで死んだ。
私の初島の記憶は誰も居ない避難港での停泊だ。本当に誰も居ない港で泳ぎ、魚を捌き、飯を炊いて、静か過ぎる海で寝た。
伊東まで5マイルだから怖さは無い。15分も歩けば人の居る部落もある。
そんなところが日本に何時までもある訳はないな。
開発の手が入り、ホテルが出来、フィッシャリーナと称してマリーナが出来て竜宮は消えた。
 
昔の初島はもう無い。
潜って天草を採り、浜に干していた朝鮮の海女はもういない。
 

昔の浜辺のあたり
 

​今の初島マリーナ​
 
旨い昼飯を食べて、2時には伊東に帰着した。
それだけのことなのに、猛烈に疲れた。筋肉の使い方が畑仕事とは違うのであろう。
22、23日と身体が使い物にならなかった。
玉手箱を開けた浦島太郎の如くであった。
 
~~~「私の名前はルーシー・バートン」~~~
25日、たまたま「私の名前はルーシー・バートン」(エリザベス・ストラウト)を読んだ。
NY在住の作家が原因不明の病気で入院することになり、田舎から母親で出てきて5日間付き添ってくれる、その母親との会話や作家の心情をとりとめもなく書き留めただけの、物語も何もない作品である。何も無くても作品となっているところに文学があるのだろう。
しかし文学音痴の私には日本の私小説、川崎長太郎の抹香町ものとの違いが分からない。
 
これがNYでベストセラーなのだそうだ。
著者が育った時代、一家は貧しく、大叔父のガレージを住処にしていた。母親は今も貧困を引きずっている。著者は作家になってようやく貧困から脱したと感じている。その母娘の会話。
ヒルビリーとはまた違ったアメリカの貧困の記憶。
NYのハイブラウの読書家たちが、何故この本を読むのか?
 

 
私は図書館で借りたこの本を読了して食堂の棚に置いておいた。
妻に特に薦めはしなかった。貧しく育ったことのない妻がシンパシーを感じる作品とは思えなかったからである。
ところが妻は中身を覗いて読み始め、面白いと言ってあっと言う間に読んでしまった。
妻はNYの人士並みの本読みである。
 
~~~三島 楽寿園~~~
28日、三島の楽寿園で「ジャパン・フラワーオープン・in 静岡」なる催しがありハンギングバスケットや寄植えの展示があったので出かけた。
三島に行くには電車である。もう車では行かない。
 
 
 
寄植えにはこれだけの花材を使う
 


​見れば自分でも作りたくなる。生産者直売なる花屋が何軒も店を出して格安で売っている。伊豆では手に入らないハンギング用の花材もあってあれこれ買ってしまった。
両手一杯になり、もう歩けない。もうどこにも行けない。車ではないから駅まで戻って電車に乗らなければならない。
後から買えばいいと言われても、売れて無くなってしまう。
結局駅前で焼肉定食を食べて早々に帰った。
本当を言えば源兵衛川やうなぎ屋、三嶋大社や佐野美術館、大岡信記念館にも行きたかったのだ。
 
~~~値上げ~~~
29日、給油所で6月からタイヤ値上げと言われタイヤ交換した。
 

四十雀の巣立ち

∞∞∞2017/5/21∞∞∞∞∞∞∞
~~~四十雀の巣立ち~~~
我が食卓の先の窓越しに見える場所に、小鳥の餌台が設置してある。
四十雀、ヤマガラ、ヒヨドリ、メジロ、ガビチョウなどに加え、台湾リスがやってくる。
 
 
今年、小鳥の育雛も見られるように餌台の先に鳥小屋を設置した。
そうしたらシジュウカラが営巣し、4月中頃から抱卵に入った様子であった。
 
 
食事をしながら鳥の出入りを見られるので楽しいが、猫やリスが狙っているらしいので気が気でない。
 
2017/5/16
 
親が2匹で代わる代わる餌の虫を運び、糞を運び出す。
健気だと応援していたら、遂に5月21日巣立ちとなった。
4羽飛び立ったが、その間3分ほど、奇跡的に妻が動画で撮影した。
 
最初の1匹が出口で逡巡していつまでも飛び立たなかったら、後ろから次の子がつついて追い出した。
親は3メートルくらい離れて呼んでいる。
 
 
 
頭の毛がふっくらと被っていて可愛い。
 

中国からのお客様

∞∞∞2017/05/19∞∞∞∞∞∞∞
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伊豆ガーデニングクラブ のホームページを見て中国からメールが届いた。
オープンガーデンを見せて欲しいという。
立派な日本文字、日本文である。
 
初めての海外からの問合せでおたついたが、クラブの広報担当の香月さんに窓口をお願いした。
 
いろいろあって、やっと5月19日に来訪が実現した。
女性ばかり6人のグループである。
日本文でメールをくれた周さんは40才前後か、日本での滞在経験もあるらしく流暢な日本語で全く不自由は無い。
 
4軒のお庭を案内し、最後の香月庭でTEASをした。
皆さん、40才台くらいで我がクラブのメンバーよりだいぶお若い。
北京、上海が中心で武漢からの方も居た。
周さんはツアーコンダクターというより園芸関係の出版に関わっている人らしく、今回の訪日もガーデニング愛好家を案内してきたらしい。昨年も来て北海道の恵庭などを回ったという。
皆さん落ち着いていて、テーブルマナーもしっかりしていて、中流の上の奥様方という感じであった。
北京の方のスマホで見せてもらったお庭は200坪ほどもあるように見受けた。イングリッシュガーデン風で、自分で手入れしていると言っていた。北京で200坪の庭と言えば大変なことなのだろう。
 
こういう人たちならちゃんとしたお付合いが出来るなと感じた。
時々黙って庭に入って、挨拶もせず名前も名乗らずに出ていくビジターより余程ましだ。
 
私は歓迎の挨拶をグーグル翻訳してカナでノートに書きとり、読み上げた。せめてもの誠意である。
 
 
 
 
 
170527katsuki3
 
   

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